イソップ童話2回目は『アリとキリギリス』の簡単なあらすじと感想文を書いていきます。
コチラも誰もが知っているお話ですが、改めて読むといろんな解釈ができることを学べましたね。
『アリとキリギリス』の教訓や本当の話など調べてみると面白い話もあったので、このブログに書いています^^

『アリとキリギリス』の簡単なあらすじを確認してみよう
まずは『アリとキリギリス』のあらすじを簡単に確認していきましょう。
『アリとキリギリス』の物語は本によって結末が全然違っています。
アリは食べ物を与えずにキリギリスが飢え死にしてしまうパターンなどもありますね。
今回読んだのは一応ハッピーエンドになっているのかな?
まぁ、いろいろ考えさせられるお話かなと思います。なので、読書感想文を書く前に、先に教訓から確認してみましょう。
教訓は3つ考えられる
『アリとキリギリス』の教訓は大きく3つ言えるかなと。
1つ目は『目の前の快楽に溺れない』。
キリギリスは夏の間は遊んで暮らしていて、冬になっても準備をしてこなかったから困ってしまった。
もし、目の前の快楽に溺れないで先の事を考えることができれば困ることはなかったわけですから、この部分は教訓として一番感じることではないでしょうか。
『アリとキリギリス』に限らず昔話は目先の利益を求めて、後々損するというパターンが多いですね。
でも、わかっていても目先の楽しいことを優先してしちゃうんだよね。。。

「分かっちゃいるけどやめられない」は人間の心理を見事に表現しているなー(*´з`)
2つ目は『困った人がいたら助けてあげる』。
私が読んだバージョンの『アリとキリギリス』はアリがキリギリスに食料を分け与えてあげるものでした。
自業自得ですがキリギリスの現状を見ると可哀想ではありますし、無慈悲に突き放すのも悪いとは思いませんが、いざアリの立場になった時にはちょっと考えますよね。
助ける義理はなくても、自分が突き放したことで苦しむことを考えると、いい気分はしません。
「情けは人の為ならず」ではないですが、やがては良い報いが巡ってくることもありますし、何より困った人がいたら助けるのが人情というものなのかなと思います。
3つ目は『生き方は人それぞれ』。
冬になって飢え死にしてしまうパターンがありますが、それが必ずしも不幸だったとは限りません。
夏の間、一生懸命楽しんだ方が幸せと考える生き方もありますし、長く生きて安定した日々を過ごす方が幸せだと考える生き方もあります。
生き方や何が幸せに感じるかは人それぞれですから、そういった教訓もあるのではないかと言えそうですね。
以上が『アリとキリギリス』の3つの教訓と言えるでしょう。
少し長くなりましたが、次で私なりの読書感想文を書いていきますね^^
『アリとキリギリス』の読書感想文
子供の頃に『アリとキリギリス』を読んだ時、私は「アリさんのように真面目に生きる事が大切なんだ」と思っていた。
真面目に生きることが大切という想いは今も変わっていないが、アリさんのようにとは今は思っていない。
それは私が子供の頃と大人になった今では現代社会の在り方が変わっているからだ。
年功序列、終身雇用、老後は年金で暮らす。
私が子供の頃はその価値観が当たり前だった。けれども、現代社会にその価値はもうないのではないだろうか。
実力主義や複数の仕事を行うのは珍しくないし、少なくとも私は年金はもらえないものだと思っている。
多くの人がカラクリに気づいているのに根本は昔から変わっていない。
価値観の変化と既存の社会システムにねじれが生まれていると感じている。
この話が面白いのは、現代社会ならキリギリスが生き残れる社会になっていると感じられるところ。
ヴァイオリンが演奏できるキリギリスは、現代社会ならYouTuberやバイオリン教室を開いて生きていけるかもしれない。
何か一つでも特技や能力があれば個人レベルで十分生きていける。
むしろ、そのような能力を遺憾なく発揮し、楽しんで生きた者の方が人生は充実するのではないだろうか。
これからはキリギリス的に生きていく方が時代に合っていると感じざるを得ない。
確かにアリの生き方の方が確実だ。そして、幸せに生きていける可能性は高い。
ただ、それは今までの社会システムがあるからだ。基盤がしっかり安定している間はアリ的な生き方をした方がいいだろう。
けれども、現代社会が大きく変化していることに多くの人は気づいている。
生き方は人それぞれ、残りの人生と現代社会のシステムの崩壊を天秤にかけて、どちらの生き方をした方が自分は幸せか。
『アリとキリギリス』はそれを考えさせてくれる物語だった。
(文字数750字)
アリ派とキリギリス派のどちらで生きていくかを考察
ざっくりですがアリを会社(従来の働き方)、キリギリスを個人(これから増えそうな働き方)みたいなイメージで書いてみました。
どっちが良いかは人それぞれなので正解はないですが、私はキリギリス的に今後も生きていきたいなと思っています。
もちろん会社員として組織で働いていても、個人の力を発揮して生きていくことは出来るけれど、私にはその生き方ができない…というか合っていないなと。
お恥ずかしながら私は就職活動に失敗しまして、どこの企業からも必要とされなかったのですが、たまたまアルバイト先の会社の人から声をかけられてそのまま就職しました。
けれども、働いて3ヶ月くらいで「自分の人生を人に決められるの嫌だな」と感じて辞めました。
自分勝手で人と上手にかかわりながら生きていける人ではないと気づいたとき、会社員として生きていくことは向いていないと感じたのですね。
仮に組織で動いても、やめたくなったらすぐにやめると思います。

『ゆうじ』のアナグラムは『じゆう』ですからね(´-ω-`)
けれども、ありがたいことに現代社会はキリギリス的な人物でも生きていけますし、何となくいい流れも感じています。
ただ、社会のシステムは昔のままなので、今はどっちでも生きていけるのかなーと。
選択が迫られている雰囲気は感じますか?
まぁ、もし私がいま50代前後だったら『勝ち逃げ』すると思いますが( *´艸`)

『アリとキリギリス』の本当の話は『アリとセミ』だった?
『アリとキリギリス』の童話を調べてみると、元は『アリとセミ』というタイトルだったそうです。
ただ、アリの生息地の関係でギリシャからアルプス以北に伝わる過程で『アリとキリギリス』というようになったとのこと。
ヨーロッパ北部にはセミがいなかったのですね。
ちなみに、『アリとセミ』ではアリが夏の間働かずにいたセミに対して、「夏の間歌っていたのなら、冬の間は踊りなさい」と笑って言い放ったそうです。
怖いな。。。笑
ただ、それに対してセミは「歌うべき歌は歌いつくした。私の亡骸を食べて、生き延びればいい」と。
セミの生きざまを見せつけられますね(;゚Д゚)シビレルゼ-
まぁセミの負け惜しみかもしれないですが、一瞬にして態勢が入れ替わって、アリがめちゃめちゃ悪者に見えますね。コツコツ働いてきたのに。。。
『アリとキリギリス(セミ)』は思っている以上に深い話かもしれませんね。
驚愕の真実!?正論にぐうの音も出ない
『アリとキリギリス』は夏の間に遊んだキリギリスとせっせと働いたアリとで明暗が分かれましたが、真実というか一つの正解だなという正論もありました。
それは「キリギリスの寿命は2ヶ月、それなら遊ぶ」というもの。
生物的な視点からみたらコレは正論ですね。
アリとキリギリスが同列のものだと思っていましたが、なるほど寿命に着目すると全然違うのですね(働きアリの寿命は平均1~2年)。
やっぱり「どの視点から物事を見るか?」というのは大事なこと。

アイディアというのは『発想力』というより『視点』なのかもなー(゜.゜)
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