イソップ童話5回目は『金の斧銀の斧』の簡単なあらすじと感想文を書いていきます。この物語も有名ですね。
一瞬『綺麗なジャイアン』が頭をよぎりますが、ここではそれは一旦忘れて原作の物語の考察をしていきましょう。
まずは簡単なあらすじからチェックしてみますね。

『金の斧銀の斧』の簡単なあらすじを確認してみよう
『金の斧銀の斧』の簡単なあらすじを確認してみましょう。
面白いですなー(*´ω`*)
イソップ物語は感覚で「この話は何を伝えているのか?」が分かるので、考えるスペースがいろいろありますね。
だからこそ、ドラえもんの話もそうですし、コントのテーマになったりすることも多いのかなと思います。
さて、では今回も教訓を先に確認して、内容を軽く整理してみましょう。
『金の斧銀の斧』の教訓は【正直の頭に神宿る 】
『金の斧銀の斧』の教訓は非常にわかりやすいですね。
ことわざで言うところの【正直の頭に神宿る 】というのが一番しっくりくるでしょう。
この意味は【神様は誠実な心をもって正直に生きる者を見守っており、必ずそのご加護がある】というもの。
正直に答えたきこりは信頼できる人間だと女神から判断されて、斧をなくして困ったことを救われただけでなく、恩恵も受けることができたわけですね。
正直でいることの大切さを教えてくれるお話が、『金の斧銀の斧』の教訓でしょう。
教訓を確認したところで、私が書いた『金の斧銀の斧』の読書感想文をご覧くださいm(_ _)m
『金の斧銀の斧』の読書感想文
『金の斧銀の斧』の教訓は正直でいることの大切さだ。
正直であれば自分に自信を持って生きていくことが出来るし、周りの人も信頼してくれるだろう。
そして、『金の斧銀の斧』が正直でいることの大切さを説いているのは、大人はみんな素直なまま生きられないからだと私は考えている。
正直なきこりと欲張なきこり、それぞれの立場に自分がなった時、おそらく同じような行動を取ると思う。
自分が正直なきこりと同じ立場だったら、普段使っている大切な斧を落としたのだから、その斧が欲しいと答える。
逆に自分が欲張りなきこりと同じ立場だったら、金の斧が欲しいという目的のために斧を落としたのだから、金の斧が欲しいと答える。
きっとどちらのきこりも、自分の気持ちに素直に行動している。
けれども一方は恩恵を受け、一方は害悪を与えられた。
そこから、この物語は正直でいる事が大切だという事の他に、「ずっと素直なままではいられない」という事も伝えているのではないだろうか。
こんなにも明暗が分かれたのは、正直と素直は似ているようで違うものだからかもしれない。
2人のきこりの明暗を分けたのは、「斧を池に落とすとどうなるかの答えを知っているか知らないか」ではないだろうか。
同じ行動をしたのに得られる結果が違う。そこには事実を知ってるか知らないかの違いがあった。
正直なきこりは結果を知らないから純真さがあった。
けれども、欲張りなきこりは結果を知っているから、そこに純真さがなかった。
だから同じ行動をしても得られる結果が違ったのだろう。
この対比は子供と大人に似ている。
子供は知見が狭いから素直に行動することが出来る。一方で知見が広い大人は行動に欲が出てしまう。
知ってるか知らないか、ただそれだけで素直さというのは失われてしまうものなのかもしれない。
正直と素直は似ているようで違う。
正直は嘘をついたりごまかしたりしないこと、素直は考えや行動が真っ直ぐなこと。
知識が増え、いろんな経験をした大人は素直に生きていくことがだんだんできなくなっていく。
そうすると余計な考えや思いが頭の中を巡ってくる。大人はそれを理解した上で行動する必要があるだろう。
ずっと素直なままの大人ではいられない。だからこそ正直でいることが大切だ。
(889文字)
正直でいることの大切さを考察
『金の斧銀の斧』が正直でいることの大切さを説いているのは、ずっと素直なままではいられないからだと考えました。
私の感覚ですが、素直には無垢さがあるけれど、正直には現状を受け入れている印象があります。
それが大人と子供の対比にも見えてきたのですね。
「自分以外の人の気持ちも考えた結果、正直に話す」というように、いろんな要素が含まれた時点で素直さは失われるのかなと。
大人になると子供の頃とは違って、白か黒のどっちかだけを考えて生きていけない。
いろんな選択肢を考慮して、一つの答えを導かなければなりません。
その時に「正直でいた方がいい事あるよ」ってことですから、迷った時は正直に生きるという決断をすればいいのかもしれないですね。
『金の斧銀の斧』は思った以上に深い話のように感じました。

素直な大人になりたいか?
大人になっても素直な人は魅力的ではありますが、自分もそんな素直な大人になりたいかと聞かれたら、そうでもないかなと思います。
それは『もう素直な人間には戻れない』から。
最近は感覚だけで物事をとらえて素直に行動を起こすのが怖かったりします。
例えばこのブログやSNSを更新する時に、その時の感情のまま素直に発言するのはちょっとできないかな。。。
「自分の発言で無駄に傷つく人が出ちゃうかな…」とか「改めて読み直すと今はそんなこと思ってないなー」とか、そういう心配をしてしまいます。
「別にこのブログなんて誰も読まねーだろ」と思っていたのですが、だんだんこのブログの認知度が高まってきていて、ものすごくワクワク感と恐怖心が芽生えてきています。。。
だからこそ、ちゃんと知識を身に着けて、しっかり考えた上で行動できるような大人を私は目指さないといけないなと思っているわけですね。
素直な大人にはなれなくていいけど、その代わり出来る限り正直な人ではあろうと。
そんなことを潜在的に考えていたから、あんな読書感想文になったような気がします。
子供と大人の違いは知識量と経験値が大きいと思うので、子供よりいろんなことを学んだ大人はもう子供には戻れないことを受け入れないといけないかもしれません。
でも、たまには子供に戻りたくなりますよね。
そんな時は「スタンドバイミー」でも観ましょうよ^^

“運を良くする”ために行動するってどうなの?
『金の斧銀の斧』を読んだ時に正直さと素直さの対比ともう一つ、『運』について感想文を書いても面白いかなと思いました。
欲張りなきこりが取った行動が、運勢を良くするためにいい事をする人をどこか皮肉っているような気もしたのですね。
『金の斧をもらうために行動を起こす』が『宝くじを当てるために神頼みする』みたいな?
何か『ねじれている』ような印象を受けているのですよ。…うまく表現できないな(゚Д゚)ノニュアンスツタワレ-
なんだろうな…『“運”は純粋なもの』だと感じているのですが、『“運を良くする”は不純』みたいな?
徳を積み上げるために修行するみたいな。「いやいや、積み重なった徳があなたを救うのよ!」ってことじゃないの?
欲を持つことは良くも悪くもありますが、「不純な欲を持つことを他力に託すのもアリなのか?」その辺に何となく違和感を感じました。
ただ、こんな風に自分でもよくわかっていないことを感想文のテーマにすると余計わかりにくくなってしまいますから、今回は別のテーマにしてみたのですね。
そういえば、宝くじで思い出しましたが、私は学生時代に「サッカーくじのtotoを1年間やって利益が出るか?」という実験をしたことがあります。
大金ではありませんが、結果的にプラス収支で終えることは出来ましたよ。
もし、興味がある方は私のtoto実験記をご覧いただければと思います^^

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