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マラドーナの凄さを感じた。ドキュメンタリー映画『二つの顔』の感想

サッカーのシルエットイラスト画像 サッカー

ドキュメンタリー映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』を観たので感想を書きます。

私はマラドーナが全盛期の頃はまだ生まれていなかったので、イマイチ凄さを理解していなかったのですが、この映画を観て『ディエゴ・マラドーナ』を深く知って、その凄さを感じました。

史上最高のサッカー選手はマラドーナしかいない。この先、彼以上の選手は出てこないし、出てきてもいけない。

『ディエゴ・マラドーナ』という人物がいた事を、私たちは後世に伝える必要がありますね。

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ドキュメンタリー映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』の感想

 

まず映画自体の感想としては観にくさはありました。

今までにドキュメンタリー映画は観た事がなかったので簡単に比較はできないですが、映像も古いですし、目がチカチカするところもあったし、2時間越えの作品でもあったので最後はちょっと疲れましたね(^^;)

それに吉祥寺の小さな映画館、座席が3列しかない劇場で観てきたので画面が大きくて、、、だから観にくかったかもしれませんが。。。笑

 

でも、見ごたえは十分でしたし、内容はすごく面白かった!

貴重映像満載で、個人的には86年メキシコW杯の映像をあんなに長時間観た事がなかったし、ピッチレベルの目線での映像は単純にサッカーファンとして興奮しました!ヾ(≧▽≦)ノ

 

映画のあらすじとしてはマラドーナの全盛期とされるナポリ時代を中心とした『光と影』のお話。

『‘ディエゴ’と‘マラドーナ’』の2つの顔の対比が軸になっていて、「サッカーに興味がない人でも楽しめるんじゃないかな?」って思いました。

映画の感想に関しては私より他の人の方が上手く表現しているので、詳しくはそちらのレビューをご覧ください。

>>映画『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』のレビューを見てみる

 

さて、ここからは映画の感想というよりは、映画を通じて私が感じた『ディエゴ・マラドーナ』という人物の感想を書いていきますね^^

ディエゴ・マラドーナの凄さを感じた

観客のイラスト画像平成生まれの私はマラドーナが全盛期だった時代を知りません。

私が初めて衝撃を受けたサッカー選手はロナウジーニョかな?

その前にジダンやロナウド(ブラジル)、ベッカムなど凄い選手も見てきましたが、やっぱりロナウジーニョは衝撃的だった。

中学生くらいになるとサッカープレー集とかゴール集のDVDとかも観だして、その頃になって初めてマラドーナのプレーを観るようになりましたし、「めちゃめちゃうめぇなー(゜o゜)」とも思ってました。

 

けれども、私より上の世代の方や往年のサッカー選手のコメントで「マラドーナは凄かった」と言ってる理由はわからなかったです。

確かに上手いし、あの時代では世界一のサッカー選手だとは思うけれど、ロナウジーニョやアンリとかのプレーを観て育ってきた私からするとイマイチ凄さが理解できませんでした。

 

でも、映画を観てマラドーナの凄さを感じた。

稚拙な表現だけど、彼の凄さは『サッカーの枠に収まらない』ところにあると思う。

たくさんの人々の感情を動かして、人種、民族、政治、思想、文化、経済、、、あらゆる分野において時代を変えるほどの影響を与えたサッカー選手はマラドーナしかいない。

その意味でマラドーナは凄いし、たくさんの人に愛されて、同じくらいたくさんの人に憎まれたと思う。

 

では、なぜマラドーナはこんなにも人の心を動かすのか?

決して体型に恵まれていない小柄な選手が、自分より大きな選手を手玉に取る圧倒的なテクニックに魅了されたということもあると思いますが、それ以上に感じさせてくれるものがある。

それは『ディエゴ』と『マラドーナ』のような『2つの相反する存在』が彼を中心に広がっていくからだと知りました。

『ディエゴ』と『マラドーナ』という2つの人格があった

天使と悪魔のイラスト画像映画のタイトルに『二つの顔』とあるように、彼には『ディエゴ』と『マラドーナ』の2つの人格があった。

映画の中ではパーソナルトレーナーのシニョリーニが

「『ディエゴ』と『マラドーナ』という2つの人格が彼にはある。
『ディエゴ』は不安定ながらも素晴らしい青年だ。
『マラドーナ』は後から生み出された人格だ。
フットボールビジネスとメディアの要求に向き合うためだ」。

と表現していました。

 

15歳でプロサッカー選手になった『ディエゴ』は、その頃からプレーヤーとしてファンやサポーターの期待に応えるために『マラドーナ』の人格として生きていかなくてはいけなくなった。

サッカーに魂を捧げたと言ったところですか。

映画では『マラドーナ』としての超絶プレーやテクニックに魅了されたのですが、場面が切り替わると『ディエゴ』としての純粋な人格が出てくるのですよ。それが凄くほっこりします。

家族や恋人と過ごしている彼は『ディエゴ』と『マラドーナ』の2つの人格を上手にコントロールしているように私は見えました。

この切替力も『ディエゴ・マラドーナ』の凄さの一つかもしれないですね。




『神の手ゴール』と『5人抜きゴール』に見る『マラドーナ』という選手

マラドーナの事をズバリ表現していた言葉も映画の中にはありました。

それはスポーツジャーナリストのアルクッチが言ったこの言葉。

『神の手ゴール』と『5人抜きゴール』を見れば、愛される理由も、嫌われる理由も分かる」

この言葉は言い当て妙で、この2つのプレーだけでマラドーナがどうして人の心を動かせるのかが分かります。

『神の手ゴール』は反則。相手チームからしたら理不尽で、絶対に認められてはいけないプレー。でも、それが認められたことで、相手チームやサポーターからしたらマラドーナなんて大嫌いな選手でしょう。

『5人抜きゴール』は感動。チームメイトやサポーターからしたら一瞬で大好きになって「愛してる!」と叫びたくなるような選手になったでしょう。

 

この2つのゴールで味方に愛され、敵に嫌われるマラドーナですが、さらに凄いのはこのゴールが同じ試合で起きたということ。

もっと言えば、『神の手ゴール』のわずか3分後に『5人抜きゴール』が生まれているということ。

つまり、たった3分でマラドーナは味方と敵以外の人たちの感情をも揺さぶったわけです。

86年W杯のあの試合は、マラドーナがいかに多くの人の心を動かす存在なのかがわかる象徴的な試合と言えますね。

 

ちなみに、私は「ジダンにも似たような事を感じるかもなー」と思うのですが、それはまた別の機会に書こうと思います^^

『ディエゴ・マラドーナ』は弱い立場の救世主だった

ヒーローのイメージ画像マラドーナは『サッカーの枠に収まらない』から凄いと感じたのですが、それは弱い立場の救世主だったからとも言えるかもしれません。

『FOOT×BRAIN』でマラドーナの特集が放送された時に、ライターの清義明さんが「マラドーナは弱者の側についた人物」と話していました。

簡単に要約すると、

 

・アルゼンチンの貧困地域で生まれ育ち、父親はインディオの血筋、母親はイタリア移民でアルゼンチン国内ではマイノリティで被差別の環境だった。
・その中で弱い大衆が何を求め、何に喜んでくれるかがわかっている。
・貧乏、被差別、少数派民族、、、そういう人たちの気持ちをよくわかっていた。
・つまり、社会的弱者の代弁者だった。

自分が弱い立場の人間だったから、同じように苦しんでいる人たちの気持ちを助けてあげたいと思っていたのですね。

ちなみに、彼のその思想は自身が所属したチームの経歴にも表れているとの事。

プロキャリアを始めたアルヘンティノスはもともと社会主義運動をした人が、
ボカジュニアーズはブエノスアイレスのイタリア移民が、
バルセロナはカタルーニャ地方のマイノリティ、
ナポリはイタリアの南北問題で被差別、、、

どのチームもサッカー以外の面で社会的弱者とされた街や地域のチーム。

彼は常に弱い立場の味方でいたわけですね

 

『ディエゴ』の優しさと『マラドーナ』の才能で、彼は常に人のために戦っていた。

社会的弱者の人間からしたらまさにスーパーヒーローだったと思います。

 

けれども、立場が違えばヒーローとヴィランは表裏一体。

そしてそれは、本人が変わらなくても周りの人の見る目が変わるだけで評価も変わってしまうのですね。

ナポリ時代の栄光と凋落で感じた心苦しさ


映画はナポリ時代の栄光と凋落が主に描かれていますが、観ていて途中で凄く心が苦しくなりました。

マラドーナが所属する前のナポリは弱小チームだったけれど、マラドーナが来たことによって強豪チームになり、そして遂には優勝を成し遂げます。

その時のチーム、サポーター、市民の喜びようは凄まじくて、本当にディエゴ・マラドーナはたくさんの人を幸せにしたと感じました。

 

見間違え、聞き間違えかもしれないけれど、相手サポーターは『マラドーナ』と言いながら侮辱するのに対して、味方サポーターは『ディエゴ』と呼んで賞賛する。

その光景は『ディエゴ・マラドーナ』という人物を表現しているような気が私はしましたし、途中から『マラドーナ』の人格が強くなってきているようにも感じました。

 

ナポリから出たいという要望を認めなかった会長やプライベートまで踏み込むサポーターの姿を観てからは、「もう戻れない状況になってきてるんだな…」と感じました。

そして、決定打になったのは90年・イタリアW杯の『イタリアVSアルゼンチン』戦。

この試合がナポリのホームスタジアム『スタディオ・サン・パオロ』だったのも残酷で。。。

ナポリ市民の救世主だったのに、自分の存在がイタリアとナポリを対立させてしまう原因になってしまうのは観ていて辛かった。

入団会見に8万5000人が集まったのに、街の誰にも見送られないでナポリを退団するマラドーナの姿は印象的で、会長やサポーター、ナポリ市民がいつしか『ディエゴ』じゃなくて『マラドーナ』だけを見ていた感じは、、、すごく心苦しかったです。

 

名誉とお金を手にして本人が変わってしまった部分もあるかもしれない。

けれども、本当に変わったのは果たしてマラドーナの方だったのか?

変わったのはマラドーナに関わる人たちの方ではないのか?

マラドーナが起こしたスキャンダル、ドラッグやマフィアとの交友、愛人関係などは決して認められるものではないけれど、そういう状況になったのは彼だけの責任ではないような気もしました。

 

映画を通じて『ディエゴ』を知ったために、私の気持ちが偏っている部分もありますが、人の期待を背負うというのは想像以上にプレッシャーになるものなんだと認識させられました。

思わず目を覆いたくなるようなシーンもありましたが、唯一救われたこととしては、家族や妻などどんな状況になっても『ディエゴ』を変わらずに愛した人たちが近くにいたこと。

本当に大切なものはいつだって目の前にあるんですね。




サッカーは最高で最低で最高のスポーツ

サッカーのイラスト画像映画を通じて『ディエゴ・マラドーナ』の凄さを感じましたが、それと同時にサッカーの凄さも感じました。

マラドーナがサッカーの枠に収まらない選手だったのは、サッカー自体が世界中に広がっているからだと思います。

世界の200を超える国と地域でプレーされているスポーツは、スポーツの枠を超えて人種や文化などに影響を与えているんだなと。

その点でサッカーは最高のスポーツでしょう。

 

一方で、サッカーには負の側面もたくさんあります。人種差別や民族問題、貧困など現実を嫌でも感じてしまう時があり、サッカーの存在が人の気持ちを辛くさせることもあるかもしれない。

その意味では最低でもあるでしょう。

近年はそういった差別などの負の側面をなくしていこうという活動もしているので、みんなで負の側面を変えていって『サッカー=平和の象徴』となるようなスポーツになっていけばと願ってはいます。

サッカーは最高であり、最低でもあると思います。

 

サッカーを通じていろんな想いを抱えることはありますが、サッカーをしている観ている時は何もかもを忘れて、ただ夢中になれる。

老いも若きも男も女も、地位も文化も人種も関係ない。

喜びも悲しみも怒りも楽しみもすべての感情がそこにあるっていうのはサッカーだからだと思うし、90分間はありのままの自分でいられる。

あまり感情的になることがない私も、日本代表がワールドカップで戦ってる時なんかは感情的になりましたし。

例えば、18年ロシアW杯ではコロンビアに勝った時は叫びましたし、ベルギーに負けた時はしばらく放心状態でした。

こんなつまらない人間でも熱くなれるんだから、サッカーは最高のスポーツだと思う。

いつかの日かサッカーは最高で、最高で、最高のスポーツになればいいですね^^

サッカーにしかない魅力は点が入らないスポーツなのに世界中が熱狂するところ
サッカーにしかない魅力はなにか?私は『あまり点が入らないスポーツなのに世界中が熱狂しているところ』にその答えがあるのかなと。では、なぜ世界中の人々が熱狂するのか?それは『サッカーは世界で最も自由で平等なスポーツ』だから。

ディエゴ・マラドーナは史上最高のサッカー選手である

映画を通じて一番強く思ったのは『史上最高のサッカー選手はディエゴ・マラドーナ』だということ。

単純に「マラドーナより上手い選手は他にもいるよ!」と言われたらそれはその通りだし、これから時代が進めばまだまだ上手い選手は出てくるでしょう。

けれども、サッカーの枠を超えて世界中の人々を巻き込むような凄いサッカー選手はディエゴ・マラドーナ以外存在しない。

そういった意味では『史上最高のサッカー選手はディエゴ・マラドーナ』だと思う。

 

もっと言えば、これからの時代に彼以上の凄いサッカー選手が現れちゃいけない。

彼が凄いサッカー選手で数えきれない人々を熱くさせたのは、弱い立場の人がいるから。

そしてその立場の弱い人たちは、文化や人種が自分と違うだけで、理不尽で意味のない思想から生まれた人たちでもある。

彼以上のサッカー選手が現れるなら、そういった負の側面がなくなっていない事とも考えられるから、ディエゴ・マラドーナ以上のサッカー選手が生まれなければいいなと私は思っています。

 

映画を観て感じたことはだいたいこんなところですか。

私は今まで生きてきて「あの頃はよかった」なんて思うことはないのですが、「マラドーナに世界中が熱狂していた時代を生きてみたかったなー」とはちょっと思いました。

それと自分自身の反省もしました。

いかに人の表面だけを見て、内面を見ていなかったか。気を付けてはいるけれど、まだまだ考えが浅い部分があると感じたので、その点は意識を変えていかないと。。。

ディエゴ・マラドーナは神のような存在だけど、人間臭くてやっぱり魅力的ですね^^

まさに『神の子』だと思います。

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