オラたちの恐竜日記の感想~ひと夏の成長を感じるには私は大人になりすぎた~
映画クレヨンしんちゃん『オラたちの恐竜日記』を観てきました。
クレヨンしんちゃんの映画は毎年楽しみで映画館に観に行っているので、今回も感想を書きましょう。
いつもは夜の一番遅い時間帯で観に行ってたのですが、今回はお昼の時間帯に行ったことで思わぬ収穫もありました。
正直、今作は個人的には「そうか…」という感じでしたが、映画館の雰囲気的には私とは違う感じも受けたので、その辺りに触れながら感想を書いていきますね^^
※以下ネタバレを含むのでご注意を!
目次
オラたちの恐竜日記の感想を正直に
趣味で書いてるブログですし、思っていることをそのまま書きますが、正直今作は私には刺さらなかったです。
映画を観てて思ったのは『どこに軸を置いて観たらいいんだろう?』というところ。
シロに感情移入した方がいいのか、親子や家族などの絆に着目した方がいいのか。
『あっ、ここに注目した方がいいのかな?』と思ったらシーンが切り替わったりして、『あぁ、違うのか…』というのが何度かあったかなと。
明確なテーマというのが映画を観てる最中には分からなかったので、「何を一番伝えたかったんだろう?」というのが私にはイマイチ読み取れなかったです。
ただ、これは作品がどうこうというよりも、私の見方や理解力に問題がある可能性も考えられる。
というのも、私の周りに座っていた子供たちの声には「泣いた~」とか「面白かった!」という声も聞こえてきたから。
私には刺さらなかったけれど、子供たちには刺さっていたんですね。
子供たちのリアルな反応を知れたのはお昼の時間帯に映画を観に行ったから感じられたことですね。
でも、なぜ私と子供たちとで受け取り方が違ったのでしょうか?
その辺りをちょっと考えてみましょう。
私には刺さらなかった理由は『目に見えるテーマ』しか見つけられなかったから
今回の作品は『夏休みにしんちゃんたちが“ナナ”という恐竜に出会っていろんなことが起こる』というあらすじでした。
物語の冒頭でこの設定が分かった時、邪推するわけです。
「仲良くなって、いろいろあって、最終的に別れが来るんだろうな」と。
経験則から「恐竜が人間と一緒に暮らすという結末は起こらない」とか「ハッピーエンドにはなりにくいのかな?」なんてことを私なんかはぼんやり考えちゃう。
予想というか、無意識にそういうのが思い浮かんじゃうし、自然と『表』じゃなくて『裏』が気になっちゃうんだよね。
仮に王道なあらすじや結末だったとしても、その中にある裏テーマや隠れたメッセージに気づければ、それはまた別の楽しみ方が出来る。
だから、自分なりに本来伝えたい部分(わかりやすいテーマ)とは違うところを探しにいくわけです。特にしんちゃんの映画は。全作品に共通してるわけじゃないけど。
物語の結末としてはナナが死んでしまって、お別れすることになったと。それによって生まれるモノは『目に見えるテーマ』として受け取れた。要は『表』はもう分かってる。
でも「それ以外の裏テーマや隠れたメッセージは何だったんだろう?」というのがイマイチ分からなかった。
先ほど書いたように「シロに感情移入して観たらいいのかな…」「親子愛や絆に目を向けて観た方がいいのか…」とか、入り込めそうな部分で違う方向に進んでしまって、結局「どこに注目すれば良かったんだろう…?」となってしまった。
「伝えたかったことは『目に見えるテーマ』の部分に振り切ったのかな?」と思ったので、「そうか…」という感想を持ったわけですね。
ただ、私はそうなってしまったのですが、周りにいた子供たちはそうじゃなかった。
それで『私には刺さらなかったけれど、子供には刺さったのはなんでだろう?』というのがすごく気になったので、近くにいた子供に「どういったところが面白かったー?」とインタビューしようかと思ったのですが、「さすがにそれはキモい。捕まれ。」と思ったので、感想を聞くことは諦めました。笑
その代わり、自分なりにひとつの仮説を考えてみました。
そこで考えたのは「子供たちは“ひと夏の成長”を感じ取ったんじゃないかな?」ということです。
子供たちは『ひと夏の成長』を疑似体験したのかもしれない
予告動画(0:34~)で風間くんが「なんだか特別な夏が始まりそうだなー」と言ってるように、この物語は『ひと夏の出来事』なんですよね。
物語はしんちゃんが夏休みに海に行ったり虫取りしたり楽しみにしてるところから始まって、最後は夏休みが終わって幼稚園に通ったり日常に戻って終わる。
そして、しんちゃんたちは夏休みの間に『ナナ』を中心とした特別な夏を過ごしていた。
絵日記に毎日ナナとの思い出を記していたように、この夏の出来事は思い出深くて、ひと夏の経験で大きく成長したんだと思う。
ナナと出会って、いろんなことがあって、お別れして…というしんちゃんたちが体験した一連の出来事は、映画を観に行った子供たちにとってはすごく新鮮だったのかなと。
疑似体験じゃないけれど、映画を観る前と後で子供たちの気持ちは成長したのかもしれない。
『表』すら知らない純粋さが、面白さや感動にそのまま繋がったから、映画館にいた子供たちは満足していたのでしょう。
しんちゃんの映画は以前はゴールデンウィーク前くらいに公開されてたけれど、今回のシリーズは最初から夏休みに公開されるのが予定されていた(『しん次元』は別腹として…)。
そういったことを考えると『子供たちに夏休みの特別な思い出をプレゼント』したかった、そんな意図があったのかもしれません。
私も自分のことを振り返ってみると、子供の頃の夏休みって純粋に楽しかったなーって思う。
小学校のプールで友達と一緒に遊ぶだけでも非日常な感じがして楽しかったし、家族でキャンプに行ったとか遠出した『ひと夏の特別な出来事』は今でも楽しい記憶として残ってる。
それはいまが全てだったからだし、何も知らなかったからだし、そんな中で体験する非日常は、まるで生まれ変わったかのように自分の成長に繋がっていたように思える。
『ひと夏の成長』を感じるには、私はもう大人になりすぎたのかな。。。
知識と経験と引き換えに失ったものと得たもの
『オラたちの恐竜日記』はもしかしたら大人にはあまり評価されない作品になったかも。
私は物語に既視感を感じる部分もあったし、感動を求めてるような気もしちゃったし、いろんなことを知りすぎちゃってるというか体験しちゃってるから、新しい刺激みたいなものはなかった。
チラッと映画を観た人のレビュー評価を確認したけれど、あんまり芳しくなかったように見えた。
ただ、だからと言って「つまらなかった」と一刀両断するような作品でもなかったとは思う。
少なくとも、私はこの作品を通じて『知識や経験と引き換えに物事を純粋に見る目を失ってしまった』ことに気づけたし、それが分かっただけでも観る価値はあったんじゃないかなという気はしてる。
それに、純粋さを失うことは悪いようなイメージを持つけど、そんなこともないことにも気づけた。
というのも、周りは誰一人反応してなかったけれど、私はしんちゃんがイグアナのモノマネをしたとき、声出して笑いそうになった( *´艸`)
これは私がタモリさんのイグアナのモノマネを知ってたから面白かった、つまり知識があったから面白かったわけで、知識がないとただのおふざけにしか見えないシーンだったと思う。
もしかしたら、公園の遊具の中に隠れるシーンでしんちゃんが風間くんに「髪切った?」と言った時に『あれっ?タモリさん?』と思った子供がいたかもしれない。
でも、実はその前にも『タモリ要素』が入ってたんだよー。
わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~(´▽`)
大人は大人で楽しいんだゾ!
2025年の舞台はインド!?
映画の最後では2025年も映画公開が決定したことが告知されましたね。
インドが舞台っぽい感じがしましたが、冒険に出かけるような内容になるのでしょうか?
カスカベ防衛隊が冒険に出る作品はギャグのキレ味が鋭かったりするので、ただただ笑える内容に振り切ったりするのかなと、いまから楽しみではありますね。
ちなみに、インドが舞台になるという事は、来年の映画のオープニング曲も引き続きケツメイシの『スーパースター』と考えてよろしいのでしょうか?
アニメ版の『スーパースター』は最後はしんちゃんが歌いますが、映画版は「Ryojiさんの声だ!」ってなるので、その時点で私は気分が高まります。
どうでもいい情報ですね。笑
あと、こんな記事も書いたので興味があればご覧ください。
もう書くことがないのでココで終わりにしましょう。
じゃ!(=゚ω゚)ノ