第60話「“優”字に争いは似合わない」

第59話「適当なくらいがちょうどいい」では「習慣化」について書きました。
習慣化のコツは「頑張らないこと」かなというところに落ち着いた感じです。
今回は習慣のような日常的なことではなく、非日常のことからテーマを考えてみましょう。
この時期は戦争を強く意識するし、今年は戦後80年の節目でもある。
今も世界では戦争が起きているけれど、今の日本人にとっては非日常のことだと思うので、戦争のことを改めて知る中で感じたことから何か書いてみますか。
今回のテーマは「優劣」にしたいと思います。
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先日『はだしのゲン』のドラマの再放送を観ました。
『はだしのゲン』は小学生の頃に学校の図書室で漫画を読んだ記憶がありますが、改めてドラマを観て「こんな内容だったかぁ」と。
他にも映画など戦争関連の作品をいくつか観ましたが、改めて戦争の非情さを感じたし、同じ過ちを繰り返してはいけないと感じました。
戦争作品をいろいろ観ながら気になったこと「ポツダム宣言って何だっけ?」「そもそもなぜ争いが起きたのか?」など調べていくと、引っ掛かる部分を発見。
そこで見えてきたのが「優劣」というキーワード。
植民地化や白人優位とか、優位に立ちたい人間の心理が行き過ぎて間違った方向へ進んでいったのかなという感じがしました。
人はなぜ他者より優位に立ちたいと思うのか?
調べた限りでは「安心」や「プライド」という心理が出発点になっているとのこと。
人が“自分たちは上だ”と思い込んだ瞬間に、他者を傷つける構造が始まるのかもしれない。
例えば、人類の進化の過程で「集団の中で優れている個体ほど生き残りやすい」とされていた。
人間の生存本能が優位を求めていて、仲間外れになることの不安や恐れがあるから、「安心するために優位に立ちたい」という本能があるらしい。
戦争ではないけれど、いじめをする人の心理にも関連しているみたいですね。
また、偏差値や年収、フォロワー数など現代社会では肩書きで人を評価する場面が多く、そういった「プライドのために優位に立ちたい」とのこと。
こうやって仕組みがわかると、優位に立ちたいと思う人の心理も分からなくはないけれど、理解するのは難しいかな。
でも、私も優位に立ちたいとまでは思わないけれど、劣るのは嫌だという心理はどこかあるかな。
そう考えると、自分にも少なからず優劣の『優』側にいたいという気持ちがあるんだろうね。
もし、時代や人間関係が今と違っていたら、私も間違った方向へ進んでいたかもしれないですね。
なんだろうなぁ…『優れている』という言葉の受け止め方を変えるべきなのかな。
『優』という漢字は『優しい』にも使う。
優れている人間に優しさがあれば、劣っている人間がいやしさを持つこともないかもしれない。
優劣が存在しなければ、争いは起こらないのかなって。
まぁ争いはなければないでつまらない部分もあるけど。順位のない運動会とかつまらないもんね。笑
でも、日常で不毛な争いをする必要はないでしょう。
今までは『優れている』と『優しい』は別物だと考えていたけれど、“兼ね備えてこそ本来の意味を発揮する”と考えた方がいいのかもしれない。
能力が優れているだけでは思いやりがないし、優しいだけでは物事は動かせない。
NARUTOの中忍試験の“天”と“地”みたいな感じかな。“頭脳”と“体力”を兼ね備えて“人(中忍)”ですよ、みたいな。
もし自分に他人より“優れている”と感じる部分があるのなら、それを発揮する場面ほど“優しさ”を持てる人間でありたいですね。
そしたら正しい方向へ進めるだろうし、そんな人たちで溢れたら“平和”につながっていくのかな。
【次回予告~準備中~】

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