第26話「目に映るすべてのことはメッセージ」
前回の【第25話「会話なんていわば私とあなたの連想ゲーム」】では、他者興味について書きました。
他人と関わる機会はあまり多くないのですが、そんな中で初めましての人に「優しいですね」と言われたんですよ。
他者への興味関心が薄いとはいえ、そんな風に言われるのはやっぱり嬉しいですし、「え~本当ですか?ありがとうございます!」と答えました。
ですが後で振り返ってみると、これはおかしな話というか、何か違和感を感じるんですよね。
この違和感の正体は何なのか?
コレについて今回は書いていきましょう。
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私は『人は選ぶけれど態度は変えない』ようにしてます。
なので、初めましてのその人に対しても特に何か繕うこともなく、普段通りに接してました。
にもかかわらず「優しいですね」と言ってもらえた訳ですね。
もし私が本当に優しい人間だとしたら、今まで会ってきた人の大半から「優しいですね」と言われないとおかしい。
でも、そんな事は言われない。…それはそれでな気もする、、、まぁいいや。笑
自分は何も変わってない、変えてないのに「優しい」と言われたと考えると、『優しさ』というのは『自分』が主じゃなくて『相手』が主なんだなって事に気づく。
つまり「優しい」と言ってくれたのは私が優しい人間なのではなく、「優しい」と言った『相手の“優しさ”への感度が豊かだったから』なんじゃないかなと思ったわけです。
私の違和感の正体は『優しい』という言葉が言われた側(自分)ではなく、言った側(相手)に主導権があることに気づいたからなのでしょう。
改めて考えてみても、やっぱり私は優しくはないんだと思う。
例えば、接する人に対して「この人いい人だな」とか「気が利く人だな」とか思うことはあるけれど、「この人は優しいな」とはあんまり思わないから。
『優しい』って感覚のハードルは、自分の中では結構高いような気がする。
というより『優しさ』という言葉の解釈が上手く定義づけられない。
もっと言うと『定義づけしなくていい言葉』って感じがする。
『優しさ』は感情だから曖昧にしか感じ取れないし、届けられない。
『優しさ』はぼんやりしたもの、感覚的なもので片付けていいような気がしてきた。
ってなると、たまに耳にする「優しくしてあげたのに」みたいな言葉はおかしな言葉だと気づく。
なぜなら『優しさ』は『与え手』ではなく『受け手』の捉え方が基準になるし、何より『断定』してる感じがミスマッチしてる。
だから「自分は優しい」と断定してる人がいたら『本当か?』と見極めることが必要ですね。
ただ、もし相手がムチとロウソクを持っているのにもかかわらず「優しくしてあげたのに」と言ってきた場合に限り、その人は優しいと認めてもいいのかもしれない。
いや…この場合はむしろ感謝か?(。-`ω-)笑
冗談はさておき、言葉っていうのは『シチュエーション次第』で表情を変えるんですね。
『優しさ』とか『悲しみ』とか『怒り』とか、言葉としての意味は分かるけれど、その言葉の解釈が曖昧な言葉ほど状況で解釈が変わるのかもしれない。
なるほど、だから難しいし面白くもあるのね。
この辺りの言葉と感覚のセンスが欲しいものです。
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