第15話「“こだわり”が似合わない男」
良い出来事があったら「これは続けよう!」と思うし、悪い出来事があったら「これ良くないんだな…」と学ぶ。
そんな事を日々積み重ねて成長して価値観みたいなものが出来ていく訳だけど、根っこの部分は子供の頃に形成されてると思う。
特に思春期の頃の経験って、今でも自分の考え方のベースになっている気がする。
前回【第14話「サッカーとはプロセスを楽しむスポーツである」】でサッカーについて触れましたが、私は学生時代サッカー部に所属していました。
その時にした経験が今の自分を諸に表してると思ったので、今回は自分の“こだわり”について書いてみましょう。
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高校3年間は「3-5-2」「3-4-3」「4-4-2」などいろんなフォーメーションでプレーさせてもらいました。
しかも、そのほとんどのポジション、前も後ろも右も左も真ん中も、CBとGK以外はほぼ全て経験。
コンバートされた経験をした人はいるだろうけど、試合によって使われるポジションが頻繁に違う人は稀だと思う。
でも、何でこんなことが起きるのか?
例えば「4-4-2」の時は右サイドハーフで出ることがベースだったのですが、左サイドバックの○○がケガをした時とか「今日は右サイドハーフに□□を入れるから、ゆーじが左サイドバックに入って」みたいなことがなぜか起こる。
つまり、私のいたポジションに誰かが入って、結果的に私が空いたポジションに追いやられるという感じ。
んで、例えば、右サイドハーフに入れた□□が調子よくて、ケガした○○が戻ってきたら「○○を左サイドバックに戻すから、ゆーじ1個前のポジション入って」ってなる。
いま思い返すと、これ以上ないくらい都合のいい男でしたね。笑
そんな感じでいろんなポジションを転々としたのです。
ちなみに、私のSNSのアカウント『yujility66』は『yuji + utility』の造語です。どうでもいい情報。
これは想像にはなるけれど、普通は1つのポジションで勝負したい人が多いと思う。
「FW以外のポジションやりたくないです」って人も全然いる。
でも、私は「ゆーじ今日ボランチで出て」と言われたら、二つ返事で「わかりましたー」って言ってた。
と言うのも『試合に出られるだけでただただ楽しかった』のですよ。
私が通ってた中学校にはサッカー部がなくて近所のクラブチームに所属していたのですが、そこも人数が少なくてほぼフットサルしかできなかった。
だから、私にとってはポジションがどことか“こだわり”がなくて、試合に出られるだけでありがたかったのですね。
そして、この経験がいまだに自分の考えに影響を与えています。
ポジションが違うと『意識』と『世界(見え方)』が変わるんですよね。
例えば、FWでプレーする時は「とりあえず1本シュート打ちたい!」と積極思考になる一方で、SBでプレーする時は「まずはミスしないで無難にプレーしよう」と安定思考になるみたいな。
同じサッカーでも前と後ろで意識が全然違ってくる。
これは右と左でも違っていて、ポジションが変われば敵も味方も関わる人が変わる。
気づくと常に相手ありきで行動しなきゃいけない環境になってた。
しかも、試合には出られるけれど確約されたポジションもなかったから、与えられた場所で必死になるしかなくて、“エゴ”みたいなものがどんどんなくなっていってた気がする。
“エゴ”を失った代わりに、いろんな角度から物事を考えるクセみたいなものが自然と身についた。
『自分はこう思うけど…相手の立場だとどうなるんだ?』みたいなものが初期段階で入ってきちゃう。
そして、何より『面白かった』んですよ。ポジションが変わって違う感覚や見え方を体験するのが。
これは理屈じゃない感じ。
理屈っぽい自分にとって貴重な感覚ですね。
こんな風にして“こだわり”のない自分が意図せず確立されたわけですね。
“こだわり”はあった方が人間としては面白い。
極端な意見は色気がなくてあまり好きじゃないけれど、突き抜けてるとやっぱり面白い。
でも、“こだわり”がない方が人生は面白いと思う。
それは、自分的には理屈じゃない感覚を味わえるのもそうだし、思いもしない経験が出来るからでしょう。
高校時代の部活でいろんなポジションを経験し、意識の変化や見え方の違いを知ったことで、『1つの物事(現象)でも正解は1つじゃないんだな』ということを知りました。
そして、何より「楽しい!」「面白い!」ことに気づきました。
いつかのコラムで書いた気がするけど、思い通りに物事が進むよりも思いもしない方向に物事が進んだ方が面白い。
好き嫌いは置いといて、ハプニングに心が動くのは想定外だからだと思うし、思いがけない出来事が起きるから「楽しい!」「面白い!」という感情も芽生える。
もし自分に“こだわり”があって「トップ下以外やりません」みたいなこと言ってたら、自分の人生はつまらないものになっていたと思う。
もっと言うと、“こだわり”が許されるほど自分が面白い人間ではないから、並の人間として埋もれてると思う。
中学校にサッカー部がなかったことを嘆いていたけれど、そのおかげで高校ではポジションにとらわれずにプレーできたとも言える。
『1つの物事に対する正解は1つじゃない』といま思えているのは、自分に“こだわり”がないからなのかもしれませんね。
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