第21話「 必要悪の必要性」
前回の【第20話「矛盾って案外悪いヤツじゃないかも?」】で、「矛盾は必要悪なんじゃないか?」と考えました。
ただ、「必要悪は必要だ」とも感じたので、今回は“必要悪”について考えてみましょう。
先に必要悪という言葉について確認をしておきますか。
簡単に言えば【良くないけど、やむを得ず必要なこと】でいいかな。
パッと思いつくのだと…例えば『ファンタジスタ』とか?
サッカーをよく知らない人だと聞いたことないかもですが、ファンタジスタは観客を魅了するプレーをする選手のこと。
ファンタジスタは攻撃では素晴らしいプレーをするんだけど、守備をしないから周りの選手たちに余計な負担がかかる。
サッカーは点が入りにくいスポーツだから失点しないために守備が大事だけど、守備を重視しちゃうと得点が奪えない。
得点を奪うためには、ファンタジスタのテクニックや創造力が必要になるみたいな感じでしょうか。
昔のイタリアとかはソレを良しとするサッカー文化があったけれど、今ではほとんど観ない戦術。
アルゼンチン代表の時のメッシが最後って言っていいのかな?
悪が強くなると淘汰されるし、扱いが難しいですね。
そんな必要悪の必要性についてじっくり考えてみましょう。
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必要悪って良くないわけだから出来ればない方がいいのかな。
じゃあ、仮に悪の部分を排除できて、必要だけ残すことが出来たらどんな世界線になるか。
うーん…意外とそっちの方が良くないことが起きる可能性があるかもしれない。
例えば、私が子供の頃は近所にヤバいおじさんとかまだいた。
ヤバいおじさんはいない方がいい。絶対に。
ただ、子供心に『あっ…関わっちゃいけない人だ…』ってことを学ぶのよ。
そういうのを知るおかげで『ラインが引ける』んだよね。
「あのおじさんは変だけど無害だから特に気にしなくていい」とか「アイツはS級でヤバいから別の道で帰ろう」とか。
この『ラインを引く』って感覚を身に着けるためには、悪の存在をある程度身近に感じる必要があると思う。
きれいなものばかり見ると何が汚いか、どこからが汚いかが分からなくなる。
ちょっと飛躍するけれど『いじり』と『いじめ』の違いが分からないとか。
似てるようで本質が全然違うものが分からなくなったりもするし、正解と同時に何は間違いかとか、どれが許容範囲かは感覚的に身に着ける必要はある。
そのためにはヤバいおじさんの存在を完全に排除するのも言い得ない怖さを感じるかな。
つまり、必要悪は『比較対象』として必要性が意外と高い。
だから「必要悪って良くないわけだから排除すればいいじゃん」とは簡単に結論づけられない。
もう一つ別の側面からも考えてみましょうか。
例えば、子供の頃に先生の悪口で盛り上がった経験がある。
悪口は良くないことだけど、“共通の敵”が出来ることで友達が出来たり、仲良くなったりすることってあると思う。
悪口は人と仲良くなる上で意外と重要な共通の話題だし、もっと言うと『好きなものが共通するよりも嫌いなものが共通してる方が仲良くなりやすい』気がする。
何なんだろうね?あの感覚。
好きなものが共通するとその場では盛り上がるけれど、嫌いなものが共通してた方が長く共有できる感じ?
信頼とまでは言わないけれど、安心する感じはある…かな。
そんな感じで悪いことをゼロにすることは、実は機会損失に繋がっていると思う。
でも、やっぱり悪口は良くないね。
悪口は必要悪という言葉に対して一番しっくり来る現象かもしれません。
必要悪は『悪』と言う以上、良くないものだと思う。
けれども『必要』と言う以上、ないくてはならないものだとも思う。
ここで大事なのは偏りすぎていけない、しっかりバランスを取ることなのかなと。
例えば、悪口に関してだったら、『思ってもいいけれど、なるべく口に出さない』とか。
あるいは、『口に出したとしても本人には伝わらないようにする』とか。
相手を悪く思うこともあるもんね。どうしても合わない人間とかはいるし。
だから、関わりすぎず、気にしすぎず、適度に毒と付き合いながら生きていくのが大事なんでしょう。
『必要悪』は『“必要”“悪”』って感じですね(/・ω・)/ <ツタワレ~
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