第12話「“共感する”って言葉が苦手な理由」
前回【第11話:相手のことを考えることは自分のことを考えること】で子供の感覚について書きましたが、今回は私の感覚の話をしようかなと。
まぁ、このコラムは『私の感覚を言語化する』ことを意識して書いているので特別感はありませんが、より深く自分の感覚を探っていきましょう。
いろんな感覚がある中でも、今回は『共感』について書きます。
今の時代は『いかに他人に共感する・してもらうか』が重要なのかなとも。
でも、私は“共感する”って言葉があんまり好きじゃないんですよね。。。
じゃあ、なんで“共感する!”とか“わかる~”とかの言葉が好きじゃないのか?
じっくり考えたことはなかったので、ちょっと言語化してみましょう。
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“共感する!”とか“わかる~”という言葉は苦手と書きましたが、他人がこれらの言葉を使っていることに関して私は特に嫌悪感はありません。
その人なりの感覚で「その言葉がしっくりくるんだろうなー」と思うだけで、共感しあえるなら「それでいいのだ」と思う。
私自身も「共感します!」とか言われて悪い気分はしないですよね。
たまーに『コイツ人の褌で相撲を取ってきたなー』と思う時もありますが。笑
なので、周りから言われることに関しては特に気にしてないのですが、問題は私自身がこういった言葉を使う時。
自分がどんなシチュエーションで“共感する”みたいな言葉を使っているかを思い返してみると、『めんどくさい』時に使ってるなと。
苦手な人や居心地の悪い場面だったり、主に相手や話の内容あまり興味がない時に「共感します」「わかるわー」とか言って、話を合わせてるような気がします。
つまり、私にとって“共感する”は便利な言葉ではあるんだけど、そこに“納得感”はない。
“共感”って“共に同じ感覚”であるはずなのに、私はどちらかというと“納得してない”時に使っていて、どこか矛盾が生じちゃう。
『頭』と『心』が不一致になるから、この言葉がそんなに好きじゃないんだと思う。
あと、この言葉が好きじゃない理由がもう一つある。
それは『なんか負けた気がする』から。
人の感覚って“似てる”はあるけど“同じ”はないと思う。
私は自分の感覚を突き詰める時、フローチャートみたいなのが思い浮かびます。
1つの現象に対してどんどん枝分かれして、最終的に自分なりの答えに辿り着くイメージ。
なので、ある程度の感覚は誰かと一致すると思うけど、突き詰めた先には自分だけにしかないオリジナルの感覚が一人ひとりに存在してると思ってる。
にもかかわらず、“共感する!”とか“わかる~”って言葉を使っちゃうと自分がラクしてる感じがするし、それ以上に“共感した”で止まっちゃうと『この人は良く考えてるなー』とか『この人の発想面白いなー』とか自分の薄さを思い知らされちゃう。
だから、簡単には「共感する」って言葉は使わないし、使うときは相手を軽視してるか、そもそもその話題に興味がないかになってるかな。
じゃあ、私がポジティブな意味で“共感する”時にどんな言葉を使ってるかを思い返してみたら、良く使ってるのは「はぁーなるほど…」でした。
この言葉は相手に共感してるのにプラスして、“自分の中で他の言葉や感覚を探してる”イメージ。
『わぁーこの人の感覚優れてるな…自分も何か言葉を見つけよう!』
みたいになってる状態。
結局、その場では答えが見つからなくて、言葉にできず『負けたなー』というか自分の感度の低さと造詣の浅さが身に沁みちゃうことが多いけどね。。。
でも、ここで終わっちゃうのも悲しいし、自分のフィールドに持っていけるようにしたいですよね。
そこで辿り着いたのが“共感”じゃなくて“共有”っていう感覚です。
この感覚が芽生えたのは星野源さんの『不思議』という曲を聴いたことがきっかけなのですが、、、どうやって書こう…。
例えば、私はラブソングがあんまり好きじゃないです。それはいろんな側面があるからなのですが…一番は“共感”がキーワードになってる気がするから。
私にとって“共感”はざっくり言えばラクをしたもの。
だから“共感性”の高い歌詞だと、気持ちは理解できるけれど心にまではあまり入ってこない感覚になっちゃう。
これは完全に私の問題だと思う。一般的には共感できるから良いとされるんだろうけど、私はそんな感じになれない。
でもコレって、どうしようもないんだよね。。。
そんな時に星野源さんの『不思議』を聴いて衝撃を受けた。
『分からないのに分かる』みたいな?これ分かる?分からない?笑
長くなるから具体的にはココは書きませんが、一言でいうなら『星野源さんの“感覚”をクラウドにアップロードしてもらって“共有”させてもらった』感じ。
ココにはリスペクトもあるし、共感してるのに自分が負けたって感覚はないし、なんか本当に不思議。
この感覚は時間を作って別で整理しておくべきかもな。。。
とにかく“共感”じゃなくて“共有”という新しい感覚を私は手に入れました。
この感覚のおかげで気持ちをフォルダに整理出来てる気がして、いま非常に生きやすい。
そんなことに気づいて以降、誰かに共感する人よりも、誰かの感覚を共有する人でいたいと思うようになっています。
そこには空白があって、余裕が生まれたり、考える楽しみも生まれたり、感覚を言語化して整理したい私にとっては楽園のような空間ですね。
まぁ感覚が合わない人の感覚まで共有したいとは思わないけど。。。笑
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