第30話「“1”は“99”よりも強い」

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前回の【第29話「下記のコメントについてどう思いますか?」】で、痒いコメントが届いたことを書きました。

あのコメントに悪意は感じなかったので特に気にすることはありませんが、悪意のあるコメントは想像以上に罪が重い行為だと思います。

ただ何となく想像しているだけだと、その罪の重さを理解できない。

もっと具体的にイメージして、可能な限り無意識でも人を傷つけることのないようにする。

今回は自分への「戒め」も含めてコラムを書いていきましょう。

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『99』の賛美より『1』の罵詈の方が強い。

仮に100個のコメントが届いて、その中の99個が好意的な意見だとしても、たった1個の悪意に人は傷つくものだと思っています。

プロスペクト理論じゃないけれど、利益を得るよりも損したくない気持ちの方が強いのは言葉でも同じでしょう。

中には批判的なコメントを気にしない人や力に変える人もいますが、それはある種の『損切りする価値』があるからかなと。

例えば、スポーツ選手がミスをして野次が飛んできた時、「次は必ず決めてやる!」という価値に変えることも出来ます。

ただ、ミスして一番悔しい思いをしているのは本人なわけだし、それを理解しているのだからわざわざ野次を飛ばすこともないとも思いますが。。。

場合によっては批判が力になることはゼロではないかもしれません。

ですが、多くの場合で批判のダメージは大きいでしょう。

罪の重さは具体的なイメージが持てれば容易に想像できるはずです。

100人で協力してバケツで山頂付近のキレイな水を汲んで、1つの樽に集めるとしましょうか。

そのうち99人はちゃんとキレイな水を汲みに行ったけれど、たった1人だけ山の麓の砂混じりの水をバケツに汲みました。

さて、その水を樽に入れたらどうでしょう?

99個あったバケツの中のキレイな水は、たった1つの砂混じりのバケツの水と合わさったことで1つの砂混じりの樽の水に変わってしまいました。

こう考えると、ちょっとしたネガティブがもたらす罪の重さがイメージ出来るかなと。

ちょっとの砂が混ざったくらいなら、手を洗うとか生活用水としての活用方法もあるかもしれません。

けれども、ココに唾をかけたり小便をひっかけたりされたら…言わずもがな。

どれだけたくさんのキレイな水を集めようが、たった1つの汚れた水で悪くなってしまう。

悪意のあるコメントは想像力が働けば罪の重さに気づけるものです。

誰かに何かを伝える時は、自分の言葉に対して「どれだけ疑問を持てるか?」が大事なのかもしれませんね。

自信を持って発言や行動することはもちろん大事だけど、それは自分事の時、自分の結果に影響を与える時にだけ発する言葉であるべきなのかも。

少しでも『こう言ったら意味が正しく伝わらないかも…』と思えているなら、言葉で他人を傷つけることは防げるのかな。

もし、意図が伝わらなかったらちゃんと謝って、理由を説明できれば許容してもらえることもあるでしょう。

…許してもらえないかもしれないけど。笑

言い切れる人間の方が人はついていくのかなとも思うけれど、私はそういうタイプではないし、自分を疑いながら最適解を導き出せればと言った感じですね。

あと、揚げ足を取ってくる人もいるから、それに対する対処法も用意しておきたいかな。

「なぜ」を考えることはこれからもずっと続けていく。

自分以外の人が関わることに関しては『自分の考えや価値に余白を持つ』ということを戒めにしておきます。


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