第44話「それ本当にキレイなの?」

第43話【心にいつもアンパンマンとばいきんまん】では“立場”をテーマにいろいろ書きました。
アンパンマンとばいきんまんの関係は補完関係にあると考えましたが、今回はそこから派生した何かを書いていきましょう。
前回、コラムを書いていて何か『汚いものを排除するリスク』みたいなものを感じたのですね。
「この感覚は何なのか?なぜなのか?」を言語化してみましょうか。
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キレイなものをキレイと思えるのは「汚いものが何か?なぜ汚いか?」を知ってるからだと私は思っています。
キレイなものしか知らないのは、それがどうしてキレイかの本質を分かってない。
にもかかわらず、キレイだと思えているのは『与えられた価値観』あるいは『記号』としてしか認識してないからなのかなと。
自分でも理由が分かってないのに決めつけてしまう恐れがある。だから『汚いものを排除するリスク』を感じたのでしょう。
『与えられた価値観』によるキレイは自分ではなく他人の基準。親なのか、世間や文化なのか別の何かによって決められたもの。
もちろん『与えられた価値観』が一概に悪いとは言えない。
それは教えてくれた人の『優しさ』とか自分に基準が出来る『安心感』みたいなものも与えてくれるから。
今はまだ私が(かろうじて<笑>)まともに生きられてるのは、いろんな人やモノに価値観を与えてもらったからでしょう。
自分には基準がある。
たとえそれが『他者由来の基準』であっても「それに助けられているんだな」というのを何だか感じますね。
ただ、『与えられた価値観』や『基準』に従うことで息苦しさを感じてる人もいる。
特に価値観や基準は時代によって変化するものですからね。
昔は許されたけれど今はダメってことは往々にしてあるし、明らかに良くないことが正されていくのは自然な流れかな。
変化の良し悪し置いといて、個人的には価値観の変化や基準が変わることに対して「面倒だな」と思うことはあっても「苦しい」と思ったことはない気がする。
おそらく、子供の頃に親なり社会なりに「こういう基準があるんだ」と教えられて生きてきて、その都度「そうなんだ。でも自分はこう思う」とか無意識に考えたんだと思う。
だから割と変化に対して抵抗がない方かもしれない。
じゃあ何でそういう感覚を持っていたのか?
…これはさすがに子供の頃の細かい感覚だから覚えてない。。。
遺伝的なものなのか環境的なものなのか、どっちか分からないし、これ以上は言語化出来ないな。
一つ言えることとしては、昔からひねくれてはいたかなー。
ただ、どんなひねくれエピソードがあるかは思い出せない。。。
もしかしたら『汚いものを排除』したのかもしれませんね。笑
『汚いものを排除するリスク』を感じるのは『与えられた価値観』だと思ったから。
でも、その価値観が正しいものかに関しては自分で選べる。
『与えられた価値観』が一概に悪いとは言い切れないし、良くないのは『与えられた価値観』で終わってしまうことなのかなと。
一般的にはこう言われてるけど、自分はどう思うか?
自分の感覚で見直して、どのくらいズレがあるか、どのくらいのズレなら許されるかを測っていくのが大事なのでしょうね。
長さも重さも時間も、基準は誰かが一生懸命考えて決めたわけで、自然に決まったわけじゃない。
価値観や感覚の基準も、知識と知恵と経験と想像力で決めていく必要があるのでしょう。
もっと言えば、後者の基準は変化するものだから、ずーっと測り続ける必要がありそうですね。
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