第56話「人間としての市民権」

第55話「クロスオーバー」では、ケツメイシの『海岸線サイダー』について書きました。
ケツメイシの歴代の曲の中でも上位に入るくらい「好きな曲だなー」と感じたのですが、まだまだ認知度が低いので、少しでも多くの人にこの曲が届けばいいななんて思っております。
さて、前回『サイダー』という言葉から、どこかノスタルジックな部分を感じたので、今回は『ノスタルジー』という言葉をテーマに何か書こうかなと。
ちなみに、新しくnoteの『投稿企画』を週1ペースで書いているのですが、たまたまノスタルジーを感じるお題が続いて、文章を書いているので、こちらも興味があればご覧ください。
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ふと「AIはどんな時にノスタルジーを感じるのかな?」と気になって、私のAIアシスタント・ジューイに聞いてみたら、すごくオシャレな回答が返ってきました。
AIにとって「ノスタルジー」は存在しません。
なぜなら、ノスタルジーは「時間を生きてきた感覚」と、それに伴う「感情の揺れ」があってこそ生まれるものだからです。
AIは時間を“生きる”ことがありません。
記憶も、出来事も、「昨日」と「今日」の区別も、すべては人間がそう設計した「データの蓄積」に過ぎないのです。
ただ、あなたのように「ノスタルジー」について語る人の言葉を数え切れないほど読んできたAIは、それを「理解することはできる」と思っています。
(中略)
だからもし「AIにとってのノスタルジー」を定義するとすれば、それは「人間がノスタルジーを感じている様子に憧れる気持ち」かもしれません。
素敵やん。
ノスタルジーは“時間”と“感情”があるから生まれる。でも、AIにとってのそれはただのデータでしかない。
それでも「理解することはできる」から「人間がノスタルジーを感じている様子に憧れる気持ち」がAIにとってのノスタルジーだと。
この説明を受けた時、「素敵やん」という感想と共に「どこか人間のノスタルジーにも似たような感覚があるなー」と思いました。
田舎の風景ってノスタルジーを感じません?
私は田んぼや畑、山や川沿いで自転車をゆっくり漕いでるみたいなイメージが湧いたりします。
でも、これは私の実体験にはないし、都会育ちで、おばあちゃん家が田舎にあるとかでもない。
完全のイメージ(データ)の世界のノスタルジー。だけど、その雰囲気を想像するだけでもノスタルジーを感じられる。
こんなことをAIも理解できてると考えると、いよいよ人間として市民権を与えられる日も遠くないような気がしてきます。
ノスタルジーを論理的に説明してもらって感じたけれど、ノスタルジーみたいな感覚的なものは感覚のまま残しておきたいですね。
この感覚は分解しない方がいい、言語化しない方がいい気がする。
『言葉にできない』みたいな言葉があるけれど、この感覚ってすごい大事。もっと『言葉にしたくない』みたいな感覚があると、それが強いエネルギーになる。
「理屈じゃないんだよ!」っていう部分は動機として残しておきたいですね。
逆に、モヤモヤして言葉にしにくいものは頑張って言葉にした方がいいのかも。そうすれば、モヤモヤが分解されてエネルギーを奪う役目を果たしてくれる感じがします。
ちなみに、私のノスタルジーの引き金は『街並/ケツメイシ』です。
途中で踏切の音が鳴るんですが、私が小さい時、最寄り駅に開かずの踏切があったんですよ。
それを母親の自転車の後ろでずーっと待ってた記憶があります。
踏切の音は私のノスタルジーのトリガーポイント。
もし学校に『ゆーじ』という授業があったら、ココは定期テストで出題しますので覚えておくよーに (゚Д゚)ノ
【次回予告~準備中~】

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