集団行動が苦手の私がサッカーを続けられた理由

「集団行動が苦手でもサッカーは続けられた理由」と書かれたサムネイル画像。右下にはサッカーボールを追いかける子どものイラスト。

「集団行動が苦手なのにサッカー部だったの?」

そう言われて「そうだね」と答えた時、相手の反応が腑に落ちてない感じがしました。

私は何の違和感も感じてないのですが、人によっては『サッカー=協調性が高い人がやるもの』というイメージがあるのかもしれません。

「なぜこのようなギャップが生まれたのか?」について今回は言語化していきましょう。

私は、サッカーは集団行動が苦手でもできるチームスポーツだと思っているので、集団行動が苦手な子供の習い事としておすすめしたいですね。

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サッカーは集団行動のスポーツである

前提として「サッカーは集団行動のスポーツである」と言って差し支えないでしょう。

サッカーは11人1チームで行う競技で、個人技がいくら優れていても、チームとしての連携がなければ勝利をつかむのは難しいスポーツ。

FW・MF・DF・GKと明確なポジションと役割があるし、時にその役割を超えてプレーする柔軟性も求められる。

臨機応変に対応するために周囲とのコミュニケーションも不可欠。

もっと言えば、試合に出ている選手だけでなく、ベンチメンバーやコーチ、マネージャーなど「チームを支える人たち」の存在も重要。

たとえピッチに立っていなくても、声援や準備、分析といった形で仲間を支えることは、まさに集団行動の一部でしょう。

個人の力よりも「チームとしてどう機能するか」が問われるスポーツであることからも、「サッカーは集団行動のスポーツである」という定義に異論なしです。

私は集団行動が苦手である

それで、私は集団行動があまり得意じゃない。特に大人数が苦手。

例えば飲み会。中心で盛り上がっているグループよりも、端っこの方で2~3人で話してる方が心地良い。

「二次会行こうぜ!」みたいなノリになっても、無理に合わせることはほとんどない。

今は強制参加みたいな風潮はなくなってきてるけれど、まだそういうのがあった時代でもスタンスはずっと変わってないかな。

ここまで書いてみて思ったのは、私は集団行動がそこまで苦手な訳じゃなさそう。

でも、強制される感じは苦手だし、集団行動が得意ではないのは改めて確認出来た。

では「なぜ私は集団行動が苦手(得意ではない)でもサッカーは続けられたのか?」について言語化していきましょう。

サッカーは単純で自由なスポーツである

私が集団行動が苦手でもサッカーが続けられた(好きな)理由は「サッカーが単純で自由なスポーツ」だからかなと。

サッカー好きなら一度は読んだことがあるであろうバイブル『キャプテン翼』に、私がすごく好きなセリフがあります。

(前略)
おれが思うにそれはもっとも単純でもっとも自由なスポーツだからじゃないだろうか。
グラウンドにたてば監督からのサインなどなにもない。
自分で考え、自分でプレイする。
なににもしばられることなくほかの10人の仲間たちとただひとつのボールをめざしたたかうスポーツ、サッカー。

サッカーは自由だ。グラウンド中央ボールを持ったらどうする翼。
なにをしてもいいんだ。ドリブルしても、パスしても、シュートしても。
なにもしないでとまっていたっていい。パスだって前にも横にもうしろにもどこにだってOK。
それはドリブルだっていっしょだ。(以下略)

引用元:キャプテン翼

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これは主人公・大空翼の恩師“ロベルト本郷”が、翼に残したサッカーノートに記されていた言葉。

本当にその通りだと思う。

もちろん、やりたい放題ではなくて「最低限のルールの中で“考える自由”“選ぶ自由”がある」って意味だけど、チームプレーの中で自分の判断を尊重できる自由が、私にとってはとても心地よかったんですよね。

サッカーのルールは単純『手を出すな』それだけがルール。

「オフサイドがわからない」という人もいるけれど、逆に言えばオフサイド以外で難しいルールはない。

オフサイドは一言でいえば「待ち伏せ禁止」ってだけ。コレでサッカーのルールは完璧に覚えたね。

集団行動が苦手な理由は縛り(ルール)が多いからなのかもしれないな。

でも、サッカーはルールが最低限、あとは自由。

だから、集団行動が苦手な私でも苦しくなかった。

価値観が違うのに同じ光景を描ける

私がサッカーをプレーしていて一番好きなのは『自分以外の人と同じ絵を描ける』瞬間。

戦術とかはみんなで共有するけれど、個人レベルの価値観はみんな違うもの。

中には価値観の合わない人もいるし、ケンカしたり人間関係が悪くなってる人とプレーするときもある。

でも、そんな日常生活では相容れない相手であっても、ゴールという共通の目的のためにプレーしていると、ゴールが生まれるまでのプロセスで一瞬『同じ絵を思い描ける瞬間』があるんです。

たとえば、『ココでワンツーちょうだい…』って思った瞬間に、相手が同じことを考えてパスをくれるそんな瞬間。

『ココでワンツーちょうだい…そうサンキュー!シュート!わぁー止められた…でも、こぼれ球押し込んでくれた!同点だー!』

みたいな。

もうね、この瞬間はたまらない!これが3人4人と増えていくと気分も3倍4倍になっていく。

プレー中は価値観とか年齢とかそんな付属品なんてどうでもよくなる。何なら親友に思えるくらい最高の仲間だと思える。

サッカーのプレーで相手を理解したり、お互いにリスペクトしていれば、普段の練習とかでなじめないとか大した問題じゃない。

それくらい『同じ光景を描ける』というのは最高だし、その輪が広がっていく(ベンチとか応援してくれる人とか)と嬉しくなりますね。

こんなところが集団行動が苦手でもサッカーを続けて来れた、楽しいと感じた理由だと思います。

“苦手”を“無理に直す”のではなく、“活かせる場所で伸ばす”というのを、自然と体験できたのかもしれません。

まとめ:集団行動が苦手な小学生こそ一度サッカーをプレーしてみては?

私が集団行動が苦手なのにサッカーを続けて来れたのは「ルールが最低限で自由だった」から。

補足すると、サッカーは「完全な集団行動」ではなく「目的に向かう瞬間的な協調」があるから、続けられたのかなと。

個人的には目的のために同じ光景を描ければ、それ以外がどうであろうが関係ない、その瞬間分かり合えればいいというのが好きでした。

この感覚は今でもベースになっていて、周りと違ってもあまり気にならないし、価値観が違う人がいても『どこか共通する部分はあるのかもなー』とか考えたりします。

集団行動が苦手な人の特徴などを調べていたら、「うちの子は小学生で集団行動が苦手で…」みたいな親御さんが多いかなと感じました。

ちょっと気になるのであれば、習い事としてサッカーを始めてみるのも何かきっかけになるかもしれませんね。

もちろん環境(指導者)にもよるところもあるから、個サル(個人参加型のサッカー・フットサル)とかで体験するのも良いかも。

校庭開放とかで老若男女みんなで遊ぶ機会があれば最高だけどね。

出来れば、個人的には社会人も『名刺交換よりパス交換』にしてほしいんだけどなー(*´з`)

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