第4回は『花咲爺さん』の読書感想文を書きました。
「枯れ木に花を咲かせましょう」で有名なお話、勧善懲悪で王道なストーリーという印象がありましたが、改めて内容を確認してみましょう。
また、感想文の他にも『花咲爺さん』で伝えられている教訓についても書いてみたので合わせてご覧ください。
ちなみに、前回の感想文はコチラになります。
『花咲爺さん』の簡単なあらすじを確認してみよう
それではいつも通り、『花咲爺さん』の簡単なあらすじをまずはご覧ください。
本当に簡単なあらすじなので、わかりにくい部分もありますが要するに「勧善懲悪」の物語ですね。
「悪いことをしたらその報いを受けますよ」と言う教訓を教えてくれる物語なので、小さいお子さんに読み聞かせてあげると、倫理観みたいなのが身に付くのではないでしょうか。
『花咲爺さん』のあらすじを確認したところで、引き続き感想文をご覧ください。
『花咲爺さん』の読書感想文-提出作品
【タイトル】自分にとっての正解は何か?
リスクを取らなければ大きな成功はない。ただ、成功するために何もかも犠牲にするのが必ずしも正しい選択肢だとは思わない。犠牲にできるものとそうではないものの判断は事前にしっかりと確認しておくべきだろう。
『花咲じじい』の物語を読んで驚愕した。なぜなら、正直じいさんには危機察知能力が全くと言っていいほど欠如していたからだ。
子供がいないから犬の『シロ』を本当の我が子のようにかわいがっていた。にも関わらず、その大切な犬をうっかり欲張りじいさんに貸してしまい、愛犬を殺されしまう。そして、愛犬を殺されたにも関わらず今度は臼を貸して叩き壊され、薪にされてしまう。
結果的に、シロの形見の松が臼になり、臼の薪の灰が枯れ木に花を咲かせ、お殿様から褒美をもらうことになりましたが、冷静に考えればここまで犠牲を払って得るほどの利益なのかは疑問だ。
ただ、この感覚は私の主観であり、正直じいさんは私の持っている感覚とは違っているのかもしれない。私がこの物語の主人公なら、あのまま『シロ』と一緒に過ごしていた方が幸せだったと考えるだろう。大きな成功はなくても、普通の幸せがそこにあるからだ。
けれども、正直じいさんは「死んでしまったら仕方がない」「燃してまったら仕方がない」と失ったものに対する執着がない。彼にとっては自分のした行動が正解だったのだろう。正解は人によって違うのだ。
リスクを取らなければ大きな成功はない。これは『花咲じじい』の物語からもわかるように紛れもない事実だろう。それでも私は、無鉄砲に行動は起こしたくはない。なぜなら私は臆病だからだ。
しっかり考え、仮に失ったとしても受け入れることができるのか、このリスクは自分ですべての責任を負えるのか、このような判断をしてから行動を起こす人間だからだ。
失敗を想定し、犠牲にできるものは何かを考えて行動する。それが私にとっての正解の一つで、成功をする確率を高める術でもある。
(800文字)
正直じいさんとは考え方が全然違った
ちょっとうまくまとめられていないですかね。。。
もう少し長く書けばまとめられるとは思いますが、800文字の字数制限は私の書く読書感想文の数少ないルールですから、この文字数に収められるようにしっかりとまとめられる力を身に着ける必要がありそうです。
まぁ、たくさん書いて練習していきましょう。
さて、『花咲爺さん』についてですが、この物語は勧善懲悪のお話で、水戸黄門とかアンパンマンとかと話の展開としては似ているのかなと。
正直じいさんが直接、欲張りじいさんに何かをするわけではありませんが、良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが起きるというところがこの物語のいわゆる教訓ですね。
これに関しては異論はないですが、それにしても正直じいさんが受けた仕打ちはなかなかひどいモノがあったと思います。
愛犬を殺されたり、臼を壊されたり、現代なら裁判ですよ。(# ゚Д゚)
それくらいのことをされたのにポジティブな気持ちを持てるところに対して私は違和感を感じたので、そこに関連したことを感想文を書いてみようと思いました。
もし私が正直じいさんの立場になったとき、どういう流れになったら満足できるのかと考えてみたら「たくさんの褒美はいらないから、こういった事件に巻き込まれたくない」と思って、『危機管理』をテーマにしたのですね。
私と正直じいさんの危機感に対する『ものさし(考え方?)』が違って、そこは物語を読んで面白いと感じました。
私の性格を考えると失敗を想定した方が「じゃあどうしたら成功する確率を高めらるだろう?」という発想につながることが多いです。
失敗を考えない正直じいさんとは違う発想かもしれません。
ちなみに、私の性格はどちらかというと根明ではあるのですが、思考はネガティブだったりするのですね。(これプロフィールに追記できそうじゃない( ..)φメモメモ)
良いことも悪いこともバランスを考えながら動きたいタイプだと思います。
なので、『花咲じじい』の物語はあまり「いいな話だなー」とは思わなかったです。運の要素が強いと感じましたし。
私はできるだけ確率を高めてから勝負できるところで大きく出るみたいなタイプなので、『花咲じじい』はどちらかというと否定的な、共感できないお話だったかなーと感じました。

ただ、こういう正直じいさんみたいな計算しないタイプの人間だから運が巡ってくるみたいなのはあるかもしれませんねー(´▽`*)

『花咲爺さん』の教訓とは?本質に気づけないと怖いかもしれない
『花咲爺さん』の感想文を書きましたが、あくまでも私の解釈ですし、感想文はあえて捻って書いている部分もあるので、別の解釈の仕方も当然あると思います。
そこで、ここからは一般的に言われている解釈から教訓を考えてみましょう。
最初に読んだ時に感じた教訓としては、先にも書いているように「悪いことをしたら報いを受ける」というものだと思いますが、他にも教訓と言えることがあると考えています。
その教訓は「物事の本質を考える」ということ。
表面的に見れば、正直じいさんのように正直に生きて、欲張りじいさんのように欲張ってはいけないという風に見えますが、この物語のポイントはそこではないと思います。
この物語のポイントは「なぜ同じ行動をしたのに得られる結果が違ったのか?」にあるのではないか。
正直じさんも欲張りじいさんも取った行動は同じ、でも、結果は全く違ったものになりました。
なぜ結果が違ったのか?それは欲張り爺さんには本質がわかってなかったからだと考えられるでしょう。
正直爺さんは飼い犬のシロに愛情を持って接していたし、お殿様を喜ばせようとして灰を撒いた。
一方で、欲張り爺さんは自分の利益のためだけにシロやお殿様に接していた。
同じ行動をしたとしても、その中身や行動の意味は違います。そこに『花咲爺さん』の物語の教訓があると考えられるでしょう。
同じ行動を真似したところで得られる結果は同じではない。これは人生や仕事でも言えることかもしれません。
なぜその行動をしたのか?その背景や理由などを知ることが大事で、その上でその行動を参考に自分に合った行動を起こすことが大事なのですね。
つまり、『物事の本質を考える』ということ。
この教訓に気づかないで「正直でいることが大事」という表面上の意味だけを学んでしまうのは、少し怖いことかもしれません。
上辺だけでなく深く考えることを『花咲爺さん』の物語から学ぶ必要があるでしょう。
自分と違う感覚を持った人に出会ったときどうするべきか?
正直じいさんはおそらく私とは違う感覚を持った人物だと推測できます。
現実で自分と感覚が違う人とあった時にどうするのがいいのでしょうか。。。というより、
「今まで私はどう接してきたんでしたっけ?」
って、ふと思いました (。´・ω・)?
それで思い返してみたら2パターンの行動をとっていたように思えます。
1つは「質問をする」。
感覚が違うと言ってもすべてにおいて違うということはあんまりないかなと。
共通点があるとそこから話題を見つけられるので、質問して共通点を探して共感できるようになれば、自分と違う感覚だけど新しい刺激をくれる人と認識できる気がします。
もう1つは「関わらない」。
どうしても剃りが合わない人とは関わらないですね。
仕事などで関わらざるを得ないときは最低限の会話で済ます。これが鉄則。特に自分に余裕がないときは近づかない。
自分の居心地が良い人に出会うのと同じくらい、自分の居心地が悪くなる人とは関係を持たない、関係を切るというのも大事だと思っています。
仕事に厳しい人とかは気にしなかったり、あえて逆を行く方もいますけど、私はプライドとかないので、その辺は自分に甘く生きています (´-ω-`)b
こういうのは想定しておくだけでも、実際にそうなった時に落ち着いて対処できますから、こうやって言葉に残しておくといざというときに役に立つかもしれませんね。