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童話『もみの木』のあらすじと感想文。心をえぐられた物語だった

もみの木 読書

アンデルセン童話9回目は『もみの木』の簡単なあらすじと読書感想文を書いていきます。

この物語は全く知らないので、どんな話なのか検討もつかないですね。もみの木と言うとクリスマスが連想されますがクリスマス関連のお話なのでしょうか?

久しぶりに全く知らない作品を読むことになりますね。




童話『もみの木』の簡単なあらすじを確認してみよう

まずは簡単なあらすじから確認していきましょう。

【もみの木の簡単なあらすじ】

林の中に、小さなもみの木が立っていた。 彼は大きくなりたいと願っていたので、野ウサギが自分を飛び越した時には、自分の小ささを思い知らされて、とても打ちのめされた。

子どもたちが自分を、森の赤ちゃんと呼んだときは、再び、とまどい失望させられた。 コウノトリが彼に、年老いた木が伐り倒されて船のマストに使われた話を聞かせると、小さなもみの木は彼らをうらやむ。

秋になると、近くの木が伐り倒されていき、家の中で飾られていたと、雀たちが小さなもみの木に語って聞かせる。

ある日、若木へと成長したもみの木は、クリスマス飾りにするため伐り倒される。 彼は買い取られて家の中に運び込まれ、飾り付けられ、クリスマス・イヴにはキャンドルやカラフルなリンゴやおもちゃ、キャンディのバスケットで華やかに輝く。

もみの木の上には、金の星が飾られる。 子どもたちが入ってくると、もみの木からキャンディやプレゼントを取り外し、小太りの男性が語る『ハンプティ・ダンプティ』に聞き入る。

翌日、もみの木は祝宴が再開されるのを期待するが、使用人は木を降ろして屋根裏部屋に運び込む。 一人ぼっちになったもみの木は失望するが、ハツカネズミを集めて『ハンプティ・ダンプティ」の話を語って聞かせる。

ドブネズミがやってきて単純な物語だとけなすと、ハツカネズミも立ち去ってしまう。 春になると、今や枯れて変色したもみの木は、庭に引き出される。 男の子が、一番上の枝から星を外す。 それからもみの木は、小さく割られて燃やされる。

もみの木-Wikipediaより引用

(もみの木の詳しいあらすじはコチラで確認:インターネットの電子図書館-青空文庫)

この物語はなかなか…いや、今の段階で読めた事を幸せに思うしかないかもな。

今まで読んできた童話の中でも一番刺さるというか、心をえぐられた感がスゴイ。

これはもはや児童文学ではないよね。子供がこの物語を読んで感想文を書いたらどんなことを書くんだろう、、、興味はあるけど知りたくはない気はする。

 

なぜ「興味はあるけど知りたくない」と思ったのか?

この辺が感想文を書くキーポイントになりそうかな。

まぁとりあえず書いていきましょう。

『もみの木』の読書感想文-提出作品

【タイトル】こんな人生送りたくなかった
「こんな人生送りたくなかった」。そんな言葉がもみの木を通して私に伝わってきた気がする。

そして、この言葉を自分の事として受け止めないといけないと思っている。

これは決して物語の中だけの話ではないだろう。

『もみの木』は人の人生を暗示している物語だと思う。

小さい頃は「早く大きくなりたい」と思い、大きくなって「主役になる日」を過ごす。

けれども、やがては隅に追いやられてしまい、年下には煙たがられ、最後には自分が誇りに思っていることを奪われ人生を終える。

輝ける瞬間というのは一時的、人生を振り返ったら一瞬の出来事で、晩年は誰も気に留めてはくれないという事をまざまざと見せつけられた。

自分が輝けるのは若いうちだけで、老いてしまえば輝きを取り戻すことは困難な事なのだろう。それに気づかずに生きていくことは最期は必ず後悔してしまうと教えられた。

この若いというのは単純に年齢が若いなのか、思考が若いなのか判断が難しいが、いずれにせよ人の輝きは永遠ではないということを私は理解しないといけないと感じた。

そして、その瞬間怖くなった。

それは人生に終わりが近づいた時、自分も「こんな人生を送りたくなかった」と思ってしまうかもしれないと予感したからだ。

私は嫌な事を出来るだけ避けたいがために準備をしてから行動する人間である。

この性格を嫌いに思ってはいないが、時折「もっと刹那的に生きた方がいいのではないだろうか?」と思うこともある。

準備を邪魔されるのは嫌だが、心のどこかで「現状を壊してほしい」と何かを期待している自分もいる。

準備ばかりして結局何もしないくらいなら、多少の犠牲を伴っても一生懸命に生きるのもいいだろう。

意図的に刹那的な行動をとる事が、もしかしたら今の私には必要なのかもしれない。

私はまだこれまでの自分の人生に納得していない。まだまだやれる事があり、やりたい事がある。

『もみの木』から学ぶと人生は悲観的なものなのかもしれない。けれども、自分の人生においては自分は主役でいたいと強く思った。

いつか輝き、その輝きを失う時まで根を張って生きていきたい。

(866文字)

心をえぐられた物語を考察

絵本『もみの木』(せな けいこ)の表紙画像

今回は『主役』をテーマに感想文を書いてみました。

自分の人生なんだから主役は自分というのは当たり前だと思っていましたが、当たり前すぎたことで「適当な主人公として生きてきてるんじゃないか?」という事を思いました。

このまま適当に生きてたら『もみの木』の物語みたいになってしまうと思って怖くなりましたし、逆にいま気づいたからこそ、いま一度「自分の人生は俺が主役だ!」という強い気持ちを持って生きていきたいなと思い、こんな感想文になったということですね。

私は楽天家なのであまりに悲観的すぎる思想、救いようのない現実に直面する物語は嫌になるのですが、『もみの木』を読んで、そう言ってられないくらいの気概を持って現状をより良くしていきたいと感じました。

 

そのためには「もっと刹那的に生きよう!」と思ったのですが、そういうタイプでもないので、『意図的に刹那的に生きてく』ことを目指したいなと。

あえて突拍子もない行動をしてみる、ハプニングなんかも想定することで人生を楽しみたいと思います。

 

ちなみに、子供が書く『もみの木』の感想文に「興味はあるけど知りたくない」と言ったのは子供が持つ『素直さ』がまぶしそうだから。

大人になるって濁ることなのかもなー。まぁ濁りは深みですけどね!(。-`ω-)

いつかは世代交代の準備をしなければならない

『もみの木』は救いようのない話かなとも思ったのですが、この物語の結末は考えようによっては良い終わり方だなとも思いました。

そう思うのは『子ども(次の世代)』が登場してきたから。

自分が主役の時代が終わっても、また次の世代が出てくるわけですから、その時のためにしっかりバトンを繋げられるような存在にならないとですね。

やっぱり、いつまでも自分が主役のままではいられないのは避けられない現実だということでしょう。

 

ただ、考えようによっては次の世代が成長する楽しみを持てるということですから、主役から降りることが必ずしもマイナスだとは思わないですね。

むしろ、脇役だからこそ重要な役割を担えるかもしれません。

 

例えば自分がおじいちゃんになった時(´-`).。oO

「あの自然災害を体験したんですか!?」「あのウイルスの中で生き延びたんですか!?」

「そうじゃよ…何とかなるからみんな頑張りんしゃい」

 

みたいなこと言って祀られたりしねぇかなー。笑

 

今はまだだけど、晩年は世代交代のために生きましょう。それも楽しそうですね(゚∀゚)

いつか主役ではなくなる日は来るのは仕方がないことを受け止めて、晩年は次の世代が楽しめる生き方をしたいと思います。

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