『老人と海』の感想-この小説は人生の縮図である

ヘミングウェイの『老人と海』を読みました。

私は海外の方の小説はほとんど読んだことがないので、ノーベル文学賞を受賞した方の小説もほぼほぼ読んだことがありません。

ヘミングウェイは『老人と海』以外にも作品があって、総合的な評価でノーベル文学賞を受賞したわけですから、この作品だけで判断するのはどうかと思いますが、世界的な賞を受賞する物語はどんなものなのか、この目で見てやろーぜ!(゚Д゚)ノ

まずは感想から書いてみますね。



『老人と海』を読んだ感想

『老人と海』を読んだ正直な感想を書くと、最初の方は「なんでこの小説が世界的に評価されているんだ?」と良さを理解できなかったです。

『老人と海』は全体的に外面描写が多いのと、ただおじさんが魚を獲りに行くだけの話なのである程度の部分までは退屈でした。

私は小説を読むときに、表現の仕方や登場人物の言い回しはあまり気になりません。(ちなみにドラマを観る時も演技の上手い下手とかよくわからないです・.・?)

とりあえず、ストーリー重視で物語を感じるので、おじさんの魚釣りをいくら丁寧に描写しても何かイマイチでした。途中までは。

 

私がこの物語の面白さに気づいたのは巨大な魚との死闘を終えて、岐路に着くまでの間。

サメに獲物を食いちぎられていくところで、「そうか、この物語は人生を表しているのか」と感じた時に「なるほど、これは名作だわ」と思いました。

その理由としては、『老人と海=人生の縮図』の物語だと感じたのですね。実際に『老人と海』が何を伝えたい作品なのかはわからないですが。。。

 

例えば、海に出るまでの退屈に感じた前半戦は、『後の大きな目的に備えた準備の時間』、巨大な魚との死闘は『目的と対峙した時の緊張感』、岐路に着く途中のサメに獲物を食べられる部分は『目的を達成した後の葛藤』など自分が何か大きな目的を持って行動していた時の体験を思い出したり、追体験する感覚が持てるのですね。

そう感じたら、退屈に感じた前半部分に対して「準備しているときって退屈だもんなー」とか、目的が目の前にある時の「必死になるよなー」とか、目的を成し遂げた後の「とんとん拍子で物事って進まないよなー」とか、そんな気持ちを思い出させるのです。

もっと言えば、『老人』という存在は、良い時も悪い時も人生を生き抜いてきた感じもしますし、『海』という存在は、壮大な人生そのものを表現しているような気がします。

さしずめ、壮大な場所で存在するかもわからない巨大な魚は『夢』を表現しているのかもしれません。

前半の退屈に感じた時間も、改めて振り返ってみると無駄な時間ではなかったと感じられました。

 

老人が海で魚を獲りに行くというシンプルな物語で劇的な展開があるわけではないのに、こんなにも人生について意識させられて、自分と向き合わせてくれる。

「読んだらわかった『老人と海』は名作やわ。そりゃ、ヘミングウェイもノーベル文学賞を取るよね」という結論に至りました^^

 

人生って何なんだろう?

『老人と海』が名作という事はわかりました。でも、それだけで終わらせるのはもったいないなと。

せっかく生まれたこの感情を大切にして、考えたくない事を考えるきっかけにしたいと思います。

私が考えたくない事、それは『人生って何なんだろう?』ということ。もしかしたら考えたくない人は私だけではないかもしれませんね。

 

『人生とは何か?』に対する答えは…あったりなかったりするものだと思います。

「誰かを愛するために生まれてきたのよ!」という人もいれば、「何で生きてるんだろう?」という人もいれば、「人生の目的なんて死んでから問うべき」という人もいるでしょう。

『人生って何?』に対する答えなんて人によって違うし、その時の気分によって違うものなのかなーと。

答えを持っていれば自信を持って生きていけると思いますし、答えがなくてもいろんな可能性を秘めていると思います。

 

今の私の場合だと後者ですかね。ただ、現状は答えがわからなくて、その中でも不安な気持ちが強くて「自分…何してんだろうなぁ」という感じですか。

何かやりたいと思ってはいるけれど、その何かがわからない感じ。悩みがないのに悩んでいる感じ。

『moyamoya』という言葉がぴったりでしょうか。

…どうしましょ(゚∀゚)笑

 

こういう時は『先人の知恵に頼るのが相場』ですかね。今回で言えば、せっかく『老人と海』を読んだわけですから、この物語の結末を読めばヒントが見つかるのではないかと。

そこで『老人と海』のラストシーンについてですが、最後はこんな締めくくりになっています。

【老人はライオンの夢を見ていた】  (老人と海-アーネスト・ヘミングウェイ)

ここだけ切り取ると「なんのこっちゃ?(゜.゜)」となりますが、おそらくこれは自分が満ち満ちている事を表しているのかなと思います。

最初は若かった頃を思い出して「あの時は良かったなぁ」なんてことを夢見てるのかなと思ったのですが、個人的な解釈としては直前の巨大な魚との一連の死闘の事を思い出して「結局サメに魚を喰われちゃったけど、充実してたなぁ」なんてことを夢見てるんじゃないかなーと今は感じてます。

若い頃の活力に満ちた主人公が年齢を重ねて、『若い頃とは違った状況の中でも全力を出す』という事に対して満足していたんじゃないかなと。

「俺の人生ここからだな」みたいな印象を私はこの結末から感じました。

 

始めるのに遅いはないし、過去や未来よりも今を大事にするのがいいのかなと。

今を大事にすれば過去は無駄じゃなくなるし、未来は充実するだろうし、今が充実するように行動していくのがいいかもしれませんね。

 

これがわかったところで私の悩みが解決したわけではないですが、とりあえずはこのブログを書き続けようと思います^^

考えすぎて動けなくなるのが一番時間を無駄にしてしまうと思うし、少なくともブログを書くという行動を起こせているので、これを大事にするのがいいかなと。

 

このブログを続ける事が何かになるとかないと思いますが、続けなきゃ見えてこない世界もありますし、これからもダラダラ続けていきましょう(-ω-)/

『老人と海』の簡単なあらすじ(ネタバレあり)

『老人と海』の簡単なあらすじを紹介しておきますね。

キューバに住む老人サンチャゴは、漁師である。助手の少年と小さな帆かけ舟でメキシコ湾の沖に出て、一本釣りで大型魚を獲って暮らしを立てている。あるとき数ヶ月にわたり一匹も釣れない不漁が続き、少年は両親から、別の船に乗ることを命じられる。助手なしの一人で沖に出た老人の針に、巨大なカジキが食いついた。

老人は魚のかかった糸を素手であやつり、獲物が弱るのを忍耐強く待ちながら、むかし船員だった若い頃にアフリカの岸辺で見たライオンの群れのこと、力自慢の黒人と演じた一晩がかりの腕相撲勝負のことなど、過ぎた昔のことをとりとめもなく思い出す。

3日にわたる孤独な死闘ののち、老人はカジキを仕留めるが、獲物が大きすぎて舟に引き上げられず、横に縛りつけて港へ戻ることにした。しかし、傷ついた魚から流れる血の臭いにつられ、老人の舟はアオザメの群れに追跡される。

舟に結びつけたカジキを執拗に襲い、肉を食いちぎるサメの群れと、老人は必死に闘う。しかし鮫がカジキに食いつき、老人が鮫を突き殺すたび、新しく流れだす血がより多くの鮫を惹きつけ、カジキの体は次第に喰いちぎられていく。望みのない戦いを繰り返しながら老人は考える。人間は殺されることはある、しかし、敗北するようにはできていないのだと。

ようやく漁港にたどりついたとき、仕留めたカジキは鮫に食い尽くされ、巨大な骸骨になっていた。港に帰ってきた老人の舟と、横のカジキの残骸を見た助手の少年が、老人の粗末な小屋にやってきたとき、老人は古新聞を敷いたベッドで眠っていた。老人はライオンの夢を見ていた。

(老人と海-Wikipediaより引用)

Wikipediaにあるあらすじを引用しましたが、簡潔で分かりやすいですね。

童話の読書感想文で面倒な時はWikipediaのあらすじを拝借するのですが、いつも「書いてる人すごいなー」と思っています。

そういえば、いつかの『マツコの知らない世界』でWikipediaの世界が紹介されていましたね^^

 

『老人と海』の簡単なあらすじを紹介しましたが、一言で言えば『おじさんが魚を獲りに行く話』かな。笑

シンプルで複雑なストーリーではないのですが、この作品はあらすじをサラッと読んで納得できる作品ではないかなと。じっくり読んでそれぞれ違う感じ方をする作品だとは思いますよ。

150ページくらいの短い作品なので、一度じっくり読んでみてもいいかもしれませんね。

 

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