赤ずきんの読書感想文と簡単なあらすじ。人は疑うべき!

グリム童話編2回目は『赤ずきん』の読書感想文を書きました。

ペローという童話集があったり、物語の内容が微妙に違っていたりもするのですが、自分が読んだものをベースに感想を書いています。

狼に食べられる話というイメージが強いですが、はっきりとあらすじを覚えていないので、まずは簡単なあらすじから確認していきましょう。

【第11回の読書感想文はコチラ】




『赤ずきん』の簡単なあらすじを確認してみよう

まずは『赤ずきん』のあらすじを簡単に確認してみましょう。

【赤ずきんの簡単なあらすじ】

小さなかわいい女の子はおばあさんが作ってくれた赤いずきんがよく似合い、それをいつもかぶっていたので「赤ずきんちゃん」と呼ばれていた。ある日、お母さんから「森の中にある家に住んでいる病気のおばあさんにお菓子とお酒を持っていってほしい」とお見舞いを頼まれる。その際「危ないから寄り道をしてはいけないよ」と赤ずきんはお母さんに言われていた。

赤ずきんは森に入るとオオカミに出会い、おばあさんの家などの情報を聞かれるがままに全部答えてしまう。その時、オオカミは「この子はうまそうだ。おばあさんと一緒に食べてしまおう」と思い、お花畑の存在を赤ずきんに教えた。

すると、赤ずきんは「おばあさんのために花束ををこしらえよう」と寄り道をしてしまう。その隙にオオカミはおばあさんのお家へ行き、おばあさんを食べ、おばあさんのフリをしてベッドに入る。後に、赤ずきんがおばあさんのお家にたどり着くと、おばあさんに質問をする。「なんで口が大きいの?」と尋ねると「お前を食べるためだ!」と赤ずきんを一飲みしてしまった。

お腹がいっぱいになったオオカミがベッドで寝ていると、猟師が通りかかる。おばあさんの大きなイビキをおかしいと思い、家の中をのぞいてみるとベッドの上にはオオカミが。「おばあさんを丸のみしたかもしれない」と思った猟師はハサミでオオカミのお腹を切り、中からおばあさんと赤ずきんを助け出し、オオカミのお腹の中に石をいっぱい詰めた。

オオカミが目を覚まし川の水を飲みに行くと、お腹の石の重さにバランスを崩し川に落ちてしまった。赤ずきんはもう二度と寄り道をしないで、「お母さんが言ったことを守らないといけない」と思いましたとさ。

(赤ずきんの詳しいあらすじはコチラで確認:インターネットの電子図書館-青空文庫)

あらすじはこんな感じですが、、、怖い話ですねー(; ・`д・´)

深読みするとオオカミが赤ずきんちゃんにお花畑の存在を教えるところは、「お前の頭の中がお花畑なんだよ!」と言っているような気もします。。。それはないか(^^;)笑

あらすじを確認したところで、読書感想文を書いてみたのでご覧になってください。

『赤ずきん』の読書感想文-提出作品

【タイトル】常に考えるために疑え

『赤ずきん』を読んで思い出すのは「人は疑うべき」という言葉だ。直接的な教訓としては親の言う事を守るということかもしれないが、真に伝えたいメッセージとしては「疑うことの大切さ」だと感じる。

「疑う」という言葉の反対は「信じる」が適当だろう。そして、「疑う」という言葉と比較すると「信じる」という言葉の方がいい印象を受けるが、それは素直な気持ちで相手と向き合うことが出来るからかもしれない。

ただ、『赤ずきん』を読むと必ずしも信じることが正義とは言い切れないことがわかる。

実際、赤ずきんはオオカミの事を疑わないで本当のことを話してしまったからオオカミに食べられてしまった。しかも、自分だけでなくおばあさんも巻き込んでだ。自分の不注意が周りの人に迷惑をかけたのだから、信じることの浅はかさを学ばないと行けないだろう。

「信じる」というのは裏を返せば『考えることの放棄』でもある。赤ずきんはオオカミに聞かれたことに対して何も疑うことがなく、その質問に答えることで、その後どうなるのかを考えていなかった。だから、おばあさんも危険な目に合わせ、自らも危険な目にあったのだ。

「疑う」というのは裏を返せば『人や物事に関して興味や関心を持つ』ということでもある。考えることをすれば、相手の特徴や世の中の情報などを鵜呑みにしないで一度冷静になって自分の置かれている状況を整理することができる。そうすると初めての状況と対峙したときでも正しい行動をとることができるはずだ。

けれども、赤ずきんの事を単純に責めることはできないだろう。なぜなら、彼女としては当たり前の行動をしただけだからだ。困っている人(オオカミ)を助けるのは当然ことであり、正解の行動である。なのに彼女は結果的に間違いを犯していた。これは常識的な正解は非常識には当てはまらないことが原因だったからではないかと考えられる。オオカミという非常識な存在に対して常識的な正解で解答しても、損をするのは常識を持った人の方だ。ひどい話ではあるがこれが現実でもある。

『赤ずきん』の物語から学ぶべきことは『人は常に考えるべきである』ということ。たとえそれが「疑う」という低俗に思える行為だとしても。

(908文字)

『人は疑うべき』を考察

赤ずきんの絵本の表紙画像

『赤ずきん』の物語を読んで、主人公の赤ずきんちゃんに落ち度はあると思いますが、悪いことをしたわけではないので、単純に「この子バカだな」と言うのは可哀想に感じました。

寄り道をしてはいけないというお母さんから言われたルールを破ったのは良くないかもしれないが、それはおばあちゃんに花束を贈りたいという彼女の優しさがとった行動だったわけですからね。

ただ、オオカミの事を疑わなかったせいで彼女とおばあちゃんは危険な目にあったと考えると、赤ずきんは軽率だったと言えますね。

この物語で大事なのは『疑うことの重要性』、言い換えれば『自分で考える力(想像力)』を身に着けるということだと思います。

「世の中の常識を疑え」とは思わないですが、「通用しない常識もある」とは思った方がいいでしょう。

 

自分が思っている常識と周りが思っている常識は時に違うことがありますから、自分の常識を疑うこと、ひいては自分で考える事をやめないで、その中で自分なりの基準を見つけられると不測の事態に対応できたり、自分はどういう行動をとるべきなのかが見えてくるのかもしれませんね。

赤ずきんちゃんに関してはまだ子どもですし、世の中の常識を吸収している段階ですから、長い目で見れば貴重な体験ではあると思います。

 

大事なのはこういう経験をして「気持ちを改めるのか」「同じことを繰り返すのか」ということですか。失敗や間違えをすることは避けられないことですし、その後の行動が大事ってことですな(´-ω-`)

ただ、これは予想ですが、おそらく彼女は似たようなことを繰り返すでしょう。笑

なぜなら、『お母さんが言ったことを守らないといけない』と思ったから。

いや、、、多分そういうことじゃないんだよなー(;^ω^)

【第13回『ブレーメンの音楽隊』の読書感想文】

なぜ学校の勉強は大事なのか?

私は子どもの頃「なんで勉強するんだろう?」って思ってました。

学校の勉強をしたってそれが将来役に立つようには感じなかったですし、特に親から勉強しろとも言われなかったので、人並みに勉強して平均的な偏差値の学校に通って大人になりました。

頭のいい人は学校の勉強は役に立つということを理解して、普段から勉強していたのかなーと思いますが、ポンコツな私は大人になってしばらくするまで勉強の意味を分かっていなかったです。

 

勉強の意味はいろいろあると思いますが、私は『勉強は自分が考えるための‘ものさし’』だと思っています。

答え(一般常識)や解き方を学ぶことは、自分の考えを客観的にみられたり、正解がないものに対して答えを導くことが出来る。

漢字や歴史などは一般常識でいろんな人とコミュニケーションを取る上で役立ったりしますし、算数や物理などは答えを導く練習になりますね。

 

学校の勉強は人生を生きていく上で直接的に役立つことは少ないかもしれませんが、絶対に必要なことだと言えるでしょう。

「勉強が目的になってはいけないんだなー」と、それにずっと気づけなかったのは私の失敗です。

 

ただ勉強に終わりはないですし、いつ始めても遅くはないですから、学校の勉強をするとは言えませんが、常に学ぶ姿勢だけは忘れないようにしたいです。

この先、、、今オオカミに出会っているとしても、自分ができる範囲の正しい選択肢をしっかり考えて選びたいですね^^