蜘蛛の糸の読書感想文800字-些細なことにも意図がある

蜘蛛のイラスト画像 読書・本関連

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の読書感想文を書きました。

この物語は教訓じみたところもあって、視点をどこに向けるかで何通りも感想が書けちゃうお話ですね。

いくつかの候補の中から今回私が気になった部分をこのブログに記録しておきたいと思います^^




『蜘蛛の糸』の読書感想文-些細なことにも意図がある

【タイトル:些細なことにも意図がある】正直「もったいないな」と思った。

カンダタはせっかくのチャンスを自分の愚行で無にしてしまった。

もし彼が意図に気づいていたら、「このチャンスを自分のものに出来たのではないか」と私は考えてしまう。

 

カンダタはひどいヤツだ。

人を殺したり、家に火をつけたり、地獄にいるに相応しいだろう。

けれども、そんなひどいヤツにでも、ただの一度小さな蜘蛛を助けてやったことで一縷の望みが与えられた。

それが例えお釈迦様の気まぐれだたったとしても、蜘蛛の糸が垂れて来たことは彼にとっては十分すぎるほどの希望だったはずだ。

けれども、結局は周りを非難し、何も得ることはなかった。

物語は悲しい結末を迎えてしまう。

 

私がもったいないと思ったのは、なぜ自分に蜘蛛の糸が垂れてきたのかを考えなかったからだ。

救いようもないヤツにチャンスが与えられた事を、ただのラッキーと捉えるのか、意図があると考えるのかで選択肢は変わったはず。

もし蜘蛛を助けたことに気づけたのなら、一緒に登ってきた人たちと共に助かろうと考えられたかもしれない。

些細なことに目を向ける事が出来れば、救われることもあったのではないか。

「一人ずつ順番に登っていけばみんな助かるぞ」

「まずは俺がこの糸が切れないか確かめてみる」

そんなことが言えたのなら、物語はハッピーエンドを迎えたはずだ。

 

些細なことに気づき、考えを巡らせれば、蜘蛛の巣のように糸が絡み合い、希望を手にすることが出来たかもしれない。

では、自分はどうだろう。

学校に通わせてもらい、人にも恵まれた。

最低限の教養と名刺が私にはある。

それに、少なくともカンダタより悪いことはしてないと言い切れる。

「最近何だか上手くいかないな」と思う事があるが、それは本当に周りの人のせいなのだろうか。環境が悪いからなのだろうか。

私の周りにはすでにあちこちチャンスが転がっている気がする。

自力で何とでもなるはずだ。

ここが地獄じゃあるまいし。

(796文字)

きっかけは自分で気づくもの

『糸』と『意図』というダジャレをきっかけにこんな感想文にしてみました。

よく「きっかけは自分で作るもの♪」というポジティブ野郎(笑)の言葉を耳にするけど、それが出来たら苦労しないよね。

ネガティブクソ野郎の私は何でもかんでも能動的には考えられない。基本は受け身で待ちの姿勢なところがある。

だからこそ「きっかけは自分で気づくもの」だと思ってる。

常にアンテナを張って「これどういう意味だろうなー」とか考えて、それから「行動に起こしてみようかな」ってなります。…可愛げがないね。笑

もちろん時にはアンテナがバカになって本能的に行動することはあるけれど、ベースはなるべく理性的に考えるのが自分のスタイルかな。

 

あと最後は「ここが地獄じゃあるまいし」で締めたらキレイだなと思って書いたんだけど、ちょっと無理があったか。。。

意図して「上手いこと言ってやろう」とか考えるから、良くないんだろうね(´-ω-`)

こんな読書感想文のテーマも書けそう

冒頭で『視点をどこに向けるかで何通りも感想が書けちゃう』と書きました。

どことなく心理テストや心理分析をしているような感覚にもなれるので、考えてみると意外と楽しいかもしれませんね。

面倒なのでちゃんとは書きませんが、せっかくだから「こんなテーマでも書けそうだな」ということをいくつか考えてみましょう。

人間の弱さ・愚かさに目を向けるパターン

一番感じ取りやすいのは「人間って弱い生き物だなー」ということでしょうか。

私の感想文はココに着目して書いたところもあります。

カンダタは自分のエゴのために糸を独り占めしようとしたから、その報いを受けて結局お釈迦様に見捨てられたわけですね。

せっかくのチャンスを自分の愚かさでダメにしてしまうのは、私もよく経験してるし、多くの人が共感しやすいところかなと思います。

「人の振り見て我が振り直せ」じゃないですが、「他人から学ぶ」ところは読書の意義を伝えてくれますね。

お釈迦様に目を向けるパターン

お釈迦様視点(お客様目線みたい 笑)で考えると、また違った見え方をしますよね。

ダメな人間でももう一度チャンスを与える慈悲深さを感じることもあれば、チャンスを与えたのに無下にされた虚無感みたいなものを書くこともできます。

あるいは、「お釈迦様ひどいじゃないの!」という目線でも書けるでしょう。

私が印象に残った言葉に「極楽ももう昼に近くなったのでございましょう」というのがあります。

もともと、極楽にいるお釈迦様が朝の散歩で地獄の様子を見たのがきっかけで、物語が始まっていくわけですね。

おそらくカンダタにとっては一世一代の大チャンスだった。

けれども、お釈迦様にとっては午前中の余興程度な話だったわけですよ。

「人の人生をなんだと思ってるんだ!」とも言えるし、「結局は他人事」と割り切ることも出来なんてことも言えるかもしれません。

どこを切り取るか、何を思うかで自分の立ち位置が見えてくる

読書感想文の良い所は『正解がない』こと。

どこが気になるかや何を思うかは、その人が感じ取ったものが答えで正解だから、それ自体には間違いはないのよね。

単純に今の自分をどう捉えているか立ち位置が分かる程度のことなのでしょう。

自分の答えを周りの人(世の中)と比べた時に、正解や不正解が生まれることがあるだけだから、どこを切り取るか何を思うかまでは自由でいいのかなと思います。

ただ、正解を探すよりも間違えてないの方が価値が高いような気はする。

でもこんな事を考えると、やっぱり自分のベースはネガティブ思考にあるんだなって思うよね。

まぁネガティブだろうがポジティブだろうが、どっちが正解かじゃない訳だから、今後も読書感想文を通じて自分がどんな人間なのかを整理・分析していきましょう^^




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