イソップ童話6回目は『王様の耳はロバの耳』の簡単なあらすじと感想文を書いていきます。
劇団四季の公演でもありますし、有名な童話なので私も知っていましたが、話の中盤から結末まで内容をよく覚えていないですね…。
なので、まずは簡単なあらすじを確認して、それから教訓、感想文というように書いていきましょうか^^
『王様の耳はロバの耳』の簡単なあらすじを確認してみよう
『王様の耳はロバの耳』の簡単なあらすじを確認してみましょう。
この物語はバリエーションが豊富で、『井戸に向かって叫ぶ』『町の人に「みんなの声をよく聞くためだ」と言い、信頼を得る』『正直になった王様の耳が人間の耳に戻る』などいろいろなパターンがありました。
現代風に置き換えれば、「カツラをかぶっていたのがバレちゃったけど、そのおかげで逆に生きやすくなった」みたいなイメージかなー(・ω・)
ちなみに、元々はギリシャ神話のフリギア王ミダスの物語が原作となっているようです。
気になる方はそちらも調べてみてください。
では今回も教訓を先に確認して、内容を軽く整理してみましょう。
『王様の耳はロバの耳』の教訓は『相手を許す寛容さの美徳』
『王様の耳はロバの耳』の教訓は、物語のバリエーションの豊富さと同様にいくつも教訓があります。
その中で最も伝えたいこととしては『相手を許すことの美しさ』かなと。
秘密をばらされた王様ですが、相手を許したことで隠し事がなくなり、正直になった結果、周りから信頼されるようになりました。
寛容になることで周りから一目置かれる存在に見られるということですね。
他にも教訓はいろいろあります。
例えば『噂は思わぬところから広がっていく』や『秘密を抱え込むことは苦しい』、後は『自分が思っているより相手は外見を気にしてないよ』とかですか。
物語の内容がちょっと違うだけで、感じ取れる教訓もちょっと変わってくるところは面白いなーと感じました^^
さて、教訓を確認したところで、私が書いた『王様の耳はロバの耳』の読書感想文をご覧くださいm(_ _)m
『王様の耳はロバの耳』の読書感想文
隠したいけど見られたい。そこには相反する感情が芽生えている。
そして、そんな変態性こそ人生を豊かにするのではないかと私は思う。
相反する感情の揺らぎは大きくなればなるほど気持ちが昂るはずだ。
最近の私は、隠したいけど見られたいという変態性を持って自分磨きをする楽しさを感じている。
『王様の耳はロバの耳』は王様が秘密を隠したことで物語が進んでいく。
王様の秘密は結局バレてしまい、結果全てをさらけ出すことになった。
隠し事がバレることは凄く恥ずかしいことだ。
けれども、それが表に出てしまった以上、もう秘密を隠すということは出来なくなる。
それを理解した王様は秘密をバラした相手を許した。
この行動は素晴らしいと思うが、なぜ王様はすぐに相手を許せたのだろうか。
思うにそれは、王様の心のどこかに自分の耳がロバの耳だという事がバレて欲しい気持ちがあったからかもしれない。
本当に知られたくない秘密がバレたなら、相手を悪く言ったり、自己嫌悪に陥ると思う。
例えば、自分の知られたくない秘密を勝手にバラされたら、すぐにその相手を許すことが出来るだろうか、それほど寛容な心を持っているだろうか。
否。私は王様のように寛大な人間ではない。
だから私の感覚で捉えるのなら、王様にはいずれバレた時の覚悟があったのではないかと推測してしまうのだ。
そして、王様はいずれ秘密がバレてしまう状況を不安に思ったはずだか、同時にその状況を楽しんでいたとも考えてしまう。
なぜなら、最初からバレたら仕方がないと思っている隠し事は、隠している期間が何よりも楽しい時間になるからだ。
バレたら仕方がない隠し事は、見方を変えればエンタメに昇華できるかもしれない。
私はブログを書いている時間が楽しい。
それは自分の感覚を言語化することで、自分の感覚が磨かれているような気分になれるからだ。
そして、このブログを書いている人物が何者なのかほとんどの読者が知らないことに関しても、最近は面白いと感じている。
正体は隠したい、でも自分の感覚は見られたい。
そんな変態性を持ち続けながら、これからもこの自己満足ブログを書き続けていきたいと思う。
(880文字)
変態性を磨けば人生は楽しくなる?
『王様の耳はロバの耳』を読んで気になったのは、「何で王様は相手を許せたのだろうか?」という点。
歴代の床屋さんは王様の耳を笑ったなどで帰らぬ人になっていったにも関わらず、思わぬ事態によって秘密が漏れて、その原因を作った人たちに対してはお咎めなしだった。
そこが気になったので、ここから派生して感想文が書けたらいいなと。
まぁ王様は本当に秘密を知られたくなかったと思いますが、もしそれがバレてもいい秘密だとしたら、それは凄く楽しいんじゃないか?と感じてあんな仕上がりになりました。
バレてもいい…バレたら仕方がない、いずれバラす予定の秘密は隠している間は楽しいですよね。
「周りに隠れて交際している」のが、当事者はヒヤヒヤしながらも、スリリングな状況を楽しんでいるみたいな。
当事者でないと理解されない感覚を変態性と呼んで、その感覚を磨けたら人生は楽しんじゃないかもって思いました。
変態というとマイナスのイメージがありますが、誰にも理解されない感覚、その人じゃないと生まれない感覚を変態だとすると、変態性を持てば見える世界は変わるんじゃないかなー。

うーん…きっと伝わりにくいよなー。私の感覚はまだ変態レベルに達してないし、常識(知識)も足りてないね。精進しましょう!(・ω・)ゞ

出来るだけ長く変態仮面でいたい
このブログはシンプルに私の頭の中を書き出したものになっています。
ここには肩書きや経歴などの付属品はありません。
『ゆーじ』という人物がただ好き勝手あーだこーだ書いているだけのブログです。
一方で、体験談が多いこのブログではパーソナルな部分も意外と書いてたりします。
なので読む人が読んだら私の正体は特定されるでしょう。
偶然このブログに辿り着いた方で、私の過去を知っていて、勘が良い方には正体がバレると思っています。
ですが、出来ればそこは大人の対応をしていただけたら幸いです。

例えば「こんなブログがあるの知ってるー?(私は正体知ってるけど言わないよー)」くらいのスタンスでいてくれたら最高です!大好き!(≧◇≦)笑
ある意味このブログは「裸の自分でどこまで楽しめるか、楽しんでもらえるか」の実験。
「自分の感覚だけで勝負するブログ」にしていきたいと考えています。
なので、いつかはバレたりするのかなーと思っていますが、出来るだけ長く変態仮面でいたいかな!笑
まぁ正体がバレたところで現実の私を知っている人はほとんどいないので、「結局コイツ誰やねん!(゚Д゚)ノ」ってなるんだけどね…(^^ゞ

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