インスタントフィクションで学ぶ文章の楽しみ方&書き方のコツ

小説のイメージ画像 日々の出来事

ピース又吉さんのYouTube【渦】にはいろんな企画の動画がありますが、その中でもインスタントフィクションが私は好きです。

インスタントフィクションはただ楽しむのもいいですが、文章を読む上で勉強になることがいくつもありますね。

なので、今回はインスタントフィクションで紹介されたことの中から、文章の読み方のポイントをまとめておいて、文章の書き方のコツなんかをこのブログに活かせたらなと考えております^^



インスタントフィクションとは?

インスタントフィクションとは「自由な発想と気軽なノリで書かれた文章」のこと。

文章というと難しい言葉を使わなきゃというイメージがありますが、インスタントフィクションはそんなことはありません。

とにかくどんなことを書いてもいいわけです。

 

一応のルールとしては『原稿用紙たった1枚=400字の中で表現する』こと。そして『自分の思う「面白い」を入れる』こと。

この『自分の思う「面白い」を入れる』というのがポイントですよね。

お笑いの面白さだけではない、「funny」ではなく「interesting」の面白さでもいいわけです。

詳しくは動画の冒頭で髑髏万博(しゃれこうべばんぱく)先生が解説しておりますので、そちらをご覧いただくのがわかりやすいでしょう。

インスタントフィクションに学ぶ文章の楽しみ方&書き方のコツ

インスタントフィクションで紹介されている『だから文章って素晴らしい!』の部分から気になったものを抜き出して、文章を楽しむポイントを勉強したいと思います。

「文章は作者の変態性や心の内があらわになる」#3


日記を夜中書いて翌朝恥ずかしくなる経験のように、文章を書いていると人前で話さないようなことが自然と書けたり、自分こんなこと考えてたんだという心の奥底にあるものが出てくる。

文章って相手の姿は見えないのに、何となく「人となり」が見えてきますよね。

なので、「文章は作者の変態性や心の内があらわになる」というのは私も無意識に感じていたことかもしれません。

特にちゃんとした…小説や報道記事ではない文章は心の内があらわになる気はします。

ブログなんかはまさに「文章は作者の変態性や心の内があらわになる」と思うので、私の変態性(…なんかヤダな笑)、特性なんかを出せたらこのブログももっと楽しんでもらえそうですね^^

「物語はよくわからない時こそ楽しい」#4


本を読んでも良くわかんないことがある場合、それでも読み進めていいのか?

よくわからないという状態もすごく大事。何でもかんでもわかろうとする必要はなくて、難しい者・複雑なもの・よくわからないものをよくわからないものとして楽しむ。

わからないモノをわからないまま受け入れるのは大事な感覚なのですね。

私もこのブログで読んだ本の感想文を書いているのですが、たまに「これどういう意味なんだろう?」と意味が理解できない本もあります。

そういった時は無理に理解しようとしなくていいとのこと。

確かにわからないから考えるし、考えるからアイディアが生まれると思います。

わからないなりに一生懸命考えるのは、あまり頭が良くないからこそ出来ることなのかな?と考えたら、楽しめる権利が与えられているような気がして、悲観的な気分にはなりませんね。

「作者の想定外の解釈が作品の可能性を広げる」#4

作者がどう思って書いたのかは気にしなくていい。作者が想定していなかったものが作品の中に立ち上がることがある。

読者が勝手にこうなんじゃないかと読み解くことで、より作品を豊かにする。

学校の国語の授業の場合は『正しく読む』という事を重視されますが、それよりも読む側が「こうなんじゃないか?」と考える方が確かに楽しいですよね。

私が書いている童話の読書感想文は、まさにコレを意識していたんだと気づけました。

「こういう意図で読んだら物語の見方が変わるかも…」という視点を肯定してくれる人がいるのは、すごく嬉しいことだと感じましたね。

この発言を又吉さん髑髏先生が言ってくれたのは凄く価値が高いような気がします。

「読点の打ち方でリズムや時間感覚が生まれる」#5


「読点で主人公の息遣いや感じ方が立体的になる」

読点「、」によって文章のリズムが出来る。読点がどこにあるのか、またはあるのかないのかは大事。

作者のこう読んでというメッセージが込められている。

これは目から鱗の着眼点だなーと感じました。

私も児玉さんと同じで、読点は文章を読みやすくするだけのものだと思っていましたが、読点があるのも意味があるし、ないのも意味があるのですね。

この解釈は今まで持ったことがなかったので、これから自分が文章を書くときにも意識したいと思います。

「再読すると新発見と深い味わいが楽しめる」#7


本は再読でより読書が面白くなる。物語の中で衝撃的な事件が起きると、入り込んんだ読者も衝撃を受ける。するとしばらく同じ状態では読めていない。だから読み落としが絶対にある。三回読むと全然違う物語が立ち上がる。

先ほど、わからないものはわからないまま受け入れることが大事と書きましたが、より深く作品を味わうためには再読して内容を理解していく事も必要なのですね。

確かに、一度読んだだけの作品は印象に残る部分は強く残るけれど、それ以外の部分ってあんまり覚えてないことが多いです。

前にこのブログのどこかで書きましたが、太宰治「人間失格」の結末って覚えてないですもんね。

作品を楽しむためには再読するというのは忘れないでおきたいですし、気になった時は躊躇なく読み直しましょう。

「下品とされる言葉も語り手によっては受け入れられる」#9


基本的には何を書いてもいい。読者は限定されるから。限定されることを前提でどうしても書きたいなら書いても構わない。

「誰が何を語っているのかは大事」。

これは文章の読み方というより書き方のポイントですか。

「誰が何を語っているのかは大事」という言葉を目にするとイチローさんの名言を思い出しますね。

うろ覚えですが、「何を言うかではなく誰が言うか。その誰がに値する生き方をしたい」みたいな言葉を言っていた記憶があります。

 

これに関しては、すぐに手に入れられるものではないでしょう。

それだけの説得力がある人物になっていかなければいけませんし、私がこのブログで書いていることもどこか力を感じないのは『誰が』に値する生き方が出来ていないからだと思います。

私のブログを読んでくれた人にちょっとでも言葉が響いたり、面白いと感じてもらえるようになれるまで、継続してブログを書き続ければ、いつかは私も『誰が』に値する人物になれるかもしれませんね^^

「表記の仕方で語り手のプロファイリングが可能」#16


「るすばん」というように、ひらがなにすることで子供っぽさを表現できたりする。

この表記の仕方というのは古文か歴史かの授業で似たような事を習いましたね。

カタカナは男性、ひらがなは女性のための文字みたいな。

今でこそ漢字仮名まじりですが、表記の仕方でイメージが湧くのは感覚としてわかりますよね。

こういう感覚って漢字仮名まじりが扱える日本人ならではの感覚なのかな?と思っていて、私は好きな感覚だったりします。

日本人が繊細で細かい技術が得意なことを表しているような感じが勝手にしていますよ。

まとめ:文章は楽しみながら触れていくもの

インスタントフィクションを通じて感じるのは「文章は楽しみながら触れていくもの」だということでしょうか。

会話とは違って文章は時間をかけることが出来るので、その分、考えながら楽しめるのが素敵なのかなと感じました。

現代はYouTubeのような動画の方が価値が高いのかなと思っていましたが、文章だってやっぱり価値があるのですね。

 

私はブログを書いていて、自分の感覚を文字に残すのは一般的には面白くないのかなと思うこともありましたが、決してそんなことはないのでしょう。

だったら、私のブログを通じて文章が面白いと感じてもらえるような記事を残していけたらいいのかなと思います。

 

最初からいい文章は書けないし、続けていくことで文章は上達するのでしょう。

どんなジャンルでも続けることが一番大事ですから、このまま書き続けていって、楽しいと思える文章をこのブログに刻んでいきたいですね^^




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